人は“必要なもの”だけでは満たされない

ある人が言っていました。

いい映画を観たり、面白い本を読んでいるときの幸福は、それが「余分」であることと関係がある。
「余分」だからこそ刹那的に美しく、「余分」だからこそ魂にとって絶対的に幸福なのだと。

そのある人とは、作家の 江國香織 氏です。


これだけ無駄が省かれた時代なのに、なぜ人はどこか満たされていないのでしょうか。

便利になり、効率が上がり、必要なものはすぐに手に入る。
けれど、心はどこか乾いているように感じることがあります。


私は日ごろ「余白」というものを大切にしています。

いっぱいいっぱいに詰め込むのではなく、少し余らせておくこと。
知足の中に身を置くこと。

けれど、この言葉に触れたとき、あらためて気づかされました。

「余白」だけではなく、「余分」もまた必要なのだと。


忙しいから余白をつくる。
それも一つの方法です。

しかし本当は、余分なものに触れたときにしか見えない景色があります。

意味がないように思える時間。
役に立たないように感じる体験。

その中にこそ、心を潤すものがあるのかもしれません。


美輪明宏 氏はこう言っています。

戦後、人は肉体を維持するために必死に生きてきた。
しかし、その中で心の栄養が置き去りにされてきたのではないかと。

そしてその栄養を補うものとして、美術、文学、音楽を挙げています。


確かに、これだけ豊かになったにもかかわらず、
人の心はどこか空虚です。

その理由は、余分を切り捨てすぎたからなのかもしれません。


鍼灸というものも、ある意味で「余分」に近い存在です。

すぐに結果が出るわけではない。
効率的でもない。
必要最低限のものではないかもしれない。

けれど、その時間は確実に「余白」を生み、
心と身体にゆるみをもたらします。


人によってはそれを

「だるい」
「ゆるみすぎている」
「重たい」

と感じることもあるでしょう。

しかし、それが本来の状態なのだとしたら。


その感覚を知らずに生きることは、
人生の奥行きを失うことでもあります。


少しだけ、余分を取り入れてみませんか。

役に立たないもの。
意味がないように見えるもの。

その中に、あなたを整える何かがあるかもしれません。

過去の記録と、いまの思考。

それぞれ別の場所に残しています。

note(記録)
Threads(思考)
Instagram

活動はFacebookに。

必要な時にのぞいてみてください。

目次