私は2022年から、易を学びはじめました。
きっかけは、
麻布で鍼灸院をされている
関墨荘 関先生からの紹介でした。
もともと恩師から易の話を聞いており、
いつかは学びたいと思っていました。
けれど同時に、
「易は易しいと書くが、難しい」
そう言われていたこともあり、
どこかで距離を置いていたのです。
それでも学ぼうと思ったのは、
臨床の中で感じる“曖昧さ”があったからです。
これは病なのか、病気なのか。
話を聞き、
脈や腹、舌を診て、
身体の情報を読み解く。
それでもなお、
主観に寄りすぎているのではないかと感じることがありました。
もう少し別の角度から、
客観的に捉える視点が必要だと。
そんなときに知ったのが、易の講座でした。
易とは何か。
『易経』は、古代中国に起源を持つ書物で、
陰と陽の組み合わせによって、
変化の原理を読み解いていくものです。
そこには、
自然の流れや人のあり方が、
象徴的に表現されています。
また、この考え方は
カール・グスタフ・ユング にも影響を与えました。
ユングは、
因果関係では説明できないつながりを
「シンクロニシティ」と呼びました。
直接の原因がなくても、
意味としてつながる出来事がある。
臨床の中でも、
そのように感じる場面は少なくありません。
目の前に現れている症状だけでなく、
その奥にある何かが関係している。
そう思うことがあるのです。
私は心理学者でも、占い師でもありません。
けれど、
目の前の人を理解するために、
必要な視点であれば取り入れたいと思っています。
あるとき、
腎臓癌の既往がある方の奥様から連絡がありました。
ご主人が発熱し、喉の痛みもあるため、
診てほしいという内容でした。
本来であれば、
鍼灸で対応できる症状でもあります。
けれど、そのときは
違和感がありました。
私は筮竹を取り、
判断を仰ぎました。
出たのは「蠱」の初爻。
その意味から、
一刻も早く対処すべき状態だと判断し、
施術ではなく、病院への受診を勧めました。
結果として、肺炎の疑いがあり、
透析の可能性も指摘され、入院となりました。
早期の対応によって状態は落ち着き、
透析は回避されました。
このとき、
もし施術を選んでいたら。
そう考えることもあります。
鍼灸は、さまざまな症状に対応できます。
けれど、
すべてを鍼灸で解決する必要はありません。
ときに、何もしないこと。
別の選択をすること。
それもまた、重要な判断です。
易は未来を当てるものではなく、
今の状態をどう見るかという視点を与えてくれます。
鍼灸もまた、
単なる物理的な刺激ではなく、
人全体を見ていくものです。
だからこそ、
必要なのは技術だけではない。
どう捉え、どう判断するか。
その積み重ねの中で、
施術は形づくられていきます。
この場所が、
あなたにとって必要な場所であれば。
それで十分だと思っています。

