理解の入口に立つ

私は、人のことを
いろいろな角度から見て、好きになりたいと思っています。

休日の朝。
コーヒーを飲みながら、テレビを眺めていました。

そこに映っていたのは、
義足のランナーがスタート練習をしている姿。

中東・レバノンのパラ陸上選手。
名前はアルスさん。

課題は、クラウチングスタート。

上体が早く起きてしまい、
うまく加速に乗れない。

その様子を見て、
為末大さんが声をかけます。

「体を、もっと倒して」

シンプルな言葉です。

けれど、その課題がなかなか改善しない。

そこで為末さんは、こう考えます。

「もしかしたら、恐怖心かもしれない」
「特に義足の選手は、転ばないように生きてきているから」

この視点に、はっとしました。

技術の問題として見るのか。
それとも、その人が背負ってきた背景として見るのか。

同じ現象でも、
見え方はまったく変わります。

もし「できていない」という事実だけを見るなら、
かける言葉は限られる。

けれど、その奥にある恐怖や経験に目を向けたとき、
言葉も、関わり方も変わってくる。

日常の中でも、同じことが言えるように思います。

人の言動の裏には、
その人なりの理由がある。

それは、外からは見えにくいものです。

だからこそ、
少し視点を置きかえてみる。

そうすると、
理解できなかったことが、
少しだけ近づいてくる。

人を好きになるというのは、
その人の背景を想像することなのかもしれません。

どの角度から見るかで、
見えるものは変わる。

そしてそれは、
自分の在り方も変えていきます。

あなたは、
どんな視点で人を見ていますか。

過去の記録と、いまの思考。

それぞれ別の場所に残しています。

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必要な時にのぞいてみてください。

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