日々、SNSではさまざまな声が流れている。
恐怖を煽る人。
神に祈ったから大丈夫だと言う人。
予言のような話を広める人もいる。
不思議な光景だと思った。
なぜ人は、不安なときに
こうした言葉を求めたり、広めたりするのだろうか。
不安は、ときに人の判断を鈍らせる。
安心したい。
何か確かなものに頼りたい。
そうした気持ちは、
誰にでもある自然なものだと思う。
ただ、その意識の動きは
ときに社会全体にも影響を与える。
言葉が広がり、
感情が連鎖し、
空気がつくられていく。
だから私は、
鍼灸という仕事をするうえで
宗教的に、あるいはカルト的に
発信することは避けたいと思っている。
クライアントには
受動的であるよりも
能動的でいてほしい。
そして私は、
必要以上にネガティブな感情を
与えないようにしている。
禅の言葉に「あるがまま」という表現がある。
世界は大きく動き、
私たちの意思とは関係なく
物事が進むこともある。
だからこそ
意識の持ち方が大切になるのかもしれない。
たとえば、
人と人が何かを共にするとき。
あなたのモチベーションが高く、
私のモチベーションが低ければ
良い結果にはなりにくい。
反対に、
私だけが強く望んでいても
相手がそこにいなければ
やはり結果は生まれにくい。
人の意識は、
どこかで響き合うものなのだと思う。
少し話は変わる。
みなさんはオリンピックを観ただろうか。
私は何度も感動して、
思わず涙が出た。
きっと選手に感情移入したからだと思う。
一方で、
冷静に批評をする人もいる。
その言葉が
競技者本人に届くことは
ほとんどないだろう。
だからこそ
人は簡単に批判もできてしまう。
ただ、
その言葉や意識は
どこにも影響しないのだろうか。
私はそうは思わない。
これはスピリチュアルな話をしたいわけではなく、
人の感情や意識が
周囲に影響を与えるというのは
心理学でもよく知られていることだ。
たとえば、
あなたが病気になったとする。
「生きたい」と思う気持ちに対して、
周囲がどんな言葉を向けるのか。
その空気は、
決して無関係ではない。
だから私は、
クライアントに向き合うとき
「治す」というよりも、
共に良い方向を願うことを大切にしている。
最初からあきらめているのなら、
引き受けない。
その人が前を向こうとしているなら、
私はそこに力を注ぎたい。
スポーツ観戦も
少し似ている気がする。
欠点を探すことよりも、
勝つことを願う。
怪我なく終わってほしいと願う。
そうした気持ちで見ていると、
同じ試合でも
まったく違うものに見えてくる。
希望を持つことは、
特別なことではない。
それは日常の中にある。
人に向ける言葉。
物事を見る姿勢。
自分自身への態度。
そうした小さな意識が、
静かに積み重なっていく。
世界がどのように動くかは
私たちには分からない。
ただ、
どんな意識で生きるのかは
自分で選ぶことができる。
せっかくなら、
少し立ち止まって
考えてみてもいいのかもしれない。

