「当たり前が、当たり前でない」
そう考えてみると、
日常の中にはいくつも思い当たることがあります。
言葉の使い方。
箸やペンの持ち方。
参拝の作法や、手紙の書き方。
細かく見ていけば、
正解はひとつではありません。
もし、
病気にならないきっかけが
日々の暮らしの中にあるとしたら。
「いつも通り」という選択の中に、
見落としているものがあるかもしれません。
疑問を持たないこと。
それ自体が、ひとつの前提になっている。
たとえば、清潔という考え方。
身体は本来、
異物から守るための仕組みを持っています。
免疫や解毒の働きによって、
外からの影響に対応している。
ただ、その働きが
今の環境の中でどこまで保たれているのか。
そこには、少し考える余地があるように思います。
「おしりだって洗ってほしい」
かつて広まったこの言葉は、
ある意味で“当たり前”をつくりました。
いまでは多くの場所に設備があり、
それを使うことが自然になっています。
けれど一方で、
身体には本来の状態があります。
たとえば、皮膚や粘膜に存在する常在菌。
それらは、
外からの侵入を防ぐ役割も担っています。
過剰に洗い流すことが、
かえってバランスを崩すこともある。
そうした見方もあります。
どちらが正しいか、
という話ではありません。
ただ、
「それが当たり前」と思っていることが、
本当にそうなのか。
一度立ち止まってみる余地はある。
自然の中で生きる動物は、
過剰に何かを取り除くことはしません。
人だけが、
便利さや安心のために
多くのことを加えてきました。
その結果、
本来持っていた働きが
弱くなっている可能性もある。
たとえば腸内環境。
身体の内側には、
多くの働きを支える仕組みがあります。
それが乱れることで、
体調や状態に影響が出ることもある。
すべてが因果関係で説明できるわけではありません。
けれど、
多くの変化には何かしらの背景がある。
そのきっかけが、
日々の選択の積み重ねであるならば。
少しだけ、
自分の暮らしを見直してみる。
何を選び、
何を当たり前としているのか。
そこに目を向けることが、
ひとつの入口になるかもしれません。

