白と黒に分けないという視点|東洋医学が教えてくれる“あいだ”の感覚

先日、神戸から車で帰省していた幼馴染と食事をしました。
12時間かけて戻ると聞き、缶コーヒーと水を渡しましたが、眠気覚ましのガムを渡さなかったことを少し後悔しています。

無事に着いたと連絡があり、ようやく安心しました。

人はいつも「十分だったか」「足りなかったか」と
どこかで白黒をつけようとします。

けれど、本当にそうなのでしょうか。


いま私は易を学んでいます。
学び始めて3年目になりますが、正直まだ難しい。

西洋医学は枠組みがある。
東洋医学には枠組みがない。

教員課程で学科長が話していた言葉を思い出します。

目に見えるものは分かりやすい。
数値、画像、診断名。

しかし東洋医学が扱う「気」は目に見えません。

同じ身体を診ても
鍼灸師によって答えは変わる。

だから難しい。

それは正解が一つではないからです。


世の中には
「凝りは悪いもの」
「瘀血は取り除くもの」
「冷えは絶対に改善すべきもの」

そう語る施術者もいます。

けれど、なぜ凝ったのか。
なぜ滞ったのか。
なぜ冷えたのか。

そこを見なければ、繰り返します。

中医学には
扶正去邪(ふせいきょじゃ)
そして
邪正一如(じゃせいいちにょ)

という考えがあります。

悪いものを排除するだけでなく、
正と邪は一体であるという視点。

つまり、
「悪」と決めつけているものにも理由がある。

筋肉の緊張も、発熱も、防御反応かもしれない。

罪を犯した人を隔離するのか。
街の構造を見直すのか。

対症療法と本質的な視点は
まったく意味が違います。


私たちはすぐに白黒をつけたがります。

正しいか間違いか。
効くか効かないか。
善か悪か。

けれど現実は、ほとんどが「あいだ」にあります。

合理性に寄りすぎれば、
数値に出ない苦しみを見落とす。

感性に寄りすぎれば、
根拠を失う。

大切なのはバランスです。


数値に現れなくても、
画像に映らなくても、
あなたが感じている感覚は確かなものです。

なぜなら
心身一如。

心と身体は一つだから。


子どもの頃、
私たちはもっと曖昧に生きていました。

誰の目も気にせず、
正解も求めず、
本能で選択していたはずです。

物質的ではなく、
精神的な選択。

私はこの場所を
白黒をつける場所にしたくありません。

疲れを癒すでもいい。
眠るでもいい。
考えるでもいい。

1回の治療で劇的に変わることはないかもしれません。

けれど、
日常に「ひとりになる時間」をつくることができたら、
人生は静かに変わっていく。

だからこそ、
あえて曖昧でいいのではないかと思うのです。

過去の記録と、いまの思考。

それぞれ別の場所に残しています。

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必要な時にのぞいてみてください。

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