私は幼少期から、身体に静電気がたまりやすい性質があります。
子供の頃は授業中に下敷きで頭を擦り、髪の毛を逆立てて遊んでいましたが、今ではドアノブに触れる前に街路樹や植木に触れることが習慣になりました。
それでも、乾燥機から衣服を取り出すときには、手に電気が走ることがあります。
そのため今ではウールボールを乾燥機に入れ、さらに静電気除去のキーホルダーを持ち歩き、あの瞬間的な不快を避けるようにしています。
そもそも、なぜ静電気は起こるのでしょうか。
調べてみると、物と物が接触し擦れ合うことで生じるものだといいます。特に乾燥した時期に起こりやすいのは、空気中の水分が減ることで電気が逃げにくくなるためです。
そう考えると、幼少期から静電気が起きやすかったのは、アトピー性皮膚炎による皮膚の乾燥が関係していたのかもしれません。
それにもかかわらず、当時の私は乾燥しやすい衣類を身に着け、身体を保湿することもなく、自分の身体をいたわるという発想を持っていませんでした。
冬に好まれる吸湿発熱素材の衣類も、その一因かもしれません。
身体の水分を吸収して発熱する仕組みである以上、水分の少ない肌からさらに水分を奪えば、乾燥は進みます。
乾燥は帯電を招き、異なる性質の繊維が擦れることで静電気が発生する。
こうした現象を見ていると、私たちの身体は環境の影響を極めて受けやすい存在であることに気づかされます。
施術をしていると、鍼を刺した瞬間に身体がチクチクと反応することがあります。
私は右の鼠径部に電気のような感覚を覚えることがありますが、それを特別なものとして捉えたことはありませんでした。
ただ、知人の理学療法士と話をしたとき、「帯電は穴で起こる」という言葉を聞いて、ひとつの見方が生まれました。
経絡という概念は、神経や血管の流れと無関係ではなく、その流れは電気的な調整や放散とも関係しているのではないかと感じたのです。
人の身体は約60%が水で構成されています。
水は電気を通し、温度によって動きが変わる。
そう考えれば、体温や循環の状態が変化に影響を与えるのは、ごく自然なことです。
しかし、現代の生活はどうでしょうか。
産業革命以降、私たちは効率化と最適化の中で生きるようになりました。
夜でも活動できる光、瞬時に情報をやり取りする通信、快適さを追求した衣類や住環境。
それらは確かに便利で豊かさをもたらしましたが、その一方で身体はほとんど変わっていません。
環境だけが先に進み、身体は取り残されている。
本来であれば、太陽とともに起き、自然の中で身体を動かし、日が沈めば休む。
風に触れ、土に触れ、火を眺める時間があったはずです。
けれど今では、自然に触れること自体が特別な行為になりました。
意識して時間を作らなければ、その機会は訪れません。
私はサーフィンをしたり、山を歩いたり、温泉に入ったり、海辺で砂に足をつけるようにしています。
それは何か特別なことではなく、本来の感覚に戻るための行為です。
身体を整えるということは、何かを付け加えることではありません。
むしろ、余分なものを手放し、「あるべき状態」に戻ることです。
鍼や灸は、そのきっかけに過ぎません。
皮膚に触れ、わずかな刺激を与えることで、身体は自ら調整を始める。
それは極めて原始的で、同時に本質的な反応です。
病気を治すためだけではなく、
生きるために整える。
その感覚を、もう一度取り戻してみてもいいのではないでしょうか。

