分けること、分けないこと

以前、沖縄で開かれた鍼灸師会で、
ひとつの問いが投げかけられていました。

「東洋医学と西洋医学、どちらが本質的な治療なのか」


その場で語られていた内容は、
昔、教員課程で学んだものと重なり、
いまでもどこかに残り続けています。


近代の科学は、
物事を分けて理解しようとします。

細かく分けて、
一つひとつを明らかにし、
それらを組み合わせて全体を捉える。

ルネ・デカルトの考えに端を発する、
いわゆる合理的な方法です。


それによって、
私たちは多くのことを知ることができました。

身体の状態を正確に捉え、
病気の仕組みを理解し、
再現性のある治療を行う。

その精度は、
やはり西洋医学の強みだと思います。


けれど。

人はそれほど単純なものではありません。


同じ痛みでも、
その日の気分で感じ方は変わる。

同じ言葉でも、
受け取り方は人それぞれ違う。

数値にできないもの、
言葉にしきれないもの。

そういった曖昧さの中に、
その人らしさがあるようにも思えます。


すべてを分けてしまったとき、
そこからこぼれてしまうものがあるのではないか。

そんな感覚が、どこかに残ります。


東洋医学は、
それとは少し違う立ち位置にあります。

心と体を切り離さず、
全体として捉えようとする。

明確にできないものも、
そのまま受け取りながら考えていく。


科学的ではない、と言われることもありますが、
それは単に、扱い方が違うだけなのかもしれません。


どちらが正しい、という話ではなくて。

どちらにも役割がある。


身体の状態を正確に知るためには、
西洋医学が必要です。

けれど、
その人を理解しようとするとき、

分けるだけでは届かない領域がある。


だからこそ、
両方を行き来すること。


はっきりさせることと、
あえて曖昧なまま受け取ること。


そのあいだに、
治療の余地があるように思うのです。


これから医療を受けるとき、
少しだけその違いを意識してみる。

それだけでも、
見え方は変わるかもしれません。


きっと、
まだ触れられていない領域があるはずです。

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