往診のある朝。
少し早く起きた日。
どうしても足がマクドナルドに向いてしまう。
その流れの中で、
気づくと寄ってしまう。
正直なところ、
身体に合っている感じはしない。
食べたあと、どこかに残る違和感。
肌や、便の変化。
わかってはいる。
それでも、
どこかで楽しみにしている。
早起きしたことへの、
小さなご褒美のようなもの。
若い頃は、
こうしたことがあっても、すぐに戻っていた。
一日もすれば、何もなかったように。
いまは、少し違う。
一度崩れると、
戻るまでに時間がかかる。
気づけば、
そのまま数週間、残っていることもある。
そのたびに、
少しだけ後悔する。
わかっていたはずなのに、と。
ただ、そこで止まらずに、
もう少し見てみる。
なぜ、それを選んでいるのか。
やめたほうがいい、
という話ではない。
正しいか、間違っているかでもない。
ただ、その選択が、
どんな流れの中で生まれているのか。
何に対するご褒美なのか。
どこで力を使っているのか。
どのタイミングで、緩めたくなるのか。
ぼんやりとでも、
その背景に触れていく。
同時に、
身体の側にも目を向ける。
食べたものに対して、
どう反応しているのか。
受け取れているのか、
負担になっているのか。
ひとつに決めることはできない。
けれど、
無関係でもないように感じている。
外から整えること。
内側から整えること。
どちらかだけでは、足りないこともある。
だから、
否定せずに見ていく。
決めつけずに、残しておく。
クライアントに対しても、同じように。
その人が選んでいるものを、
すぐに変えようとはしない。
ただ、問いを置く。
なぜそこに向かうのか。
身体は、
いつも何かの結果として現れている。
その結果だけを追いかけると、
また同じ場所に戻ることがある。
だから、少しだけ立ち止まる。
選択と、その手前にあるものに。
すぐに変わらなくてもいい。
気づいていること。
それだけで、
流れがわずかに変わることもある。

