雲がないと、空と海の境目がわかりづらい

少し前に、
中田英寿と古舘伊知郎の対談を観ました。

その中で、ひとつ印象に残った言葉があります。

「雲がないと、空と海の境目がわかりづらい。
雲があることで、それぞれがはっきりする」

境界は、何かがあることで見えてくる。

そんな話でした。


古舘さんは、ある出来事を重ねて話します。

余命わずかな友人が、何もない道で空を見上げていた。
雲ひとつない空。

どこまでも均一で、
時間が止まっているように感じたといいます。

けれど後日、同じ場所で空を見上げたとき、
遠くにひとつだけ雲があった。

その存在によって、
飛行機が近づいてくること、遠ざかっていくこと、
つまり「時間」が流れていることに気づいたそうです。


話は少し変わります。

いま、不妊治療で通っている一人の女性がいます。

彼女は、甲信越の小さな町の出身で、
そこには昔からの価値観が、いまも自然に残っているといいます。

帰省すれば、誰かが子どもを産んだという話題。
そして、こう言われる。

「あなたはまだなの?」
「昔なら、もう何人も産んでいるよ」

それが悪意ではなく、
当たり前として存在している場所。


けれど、その時間の流れは
その土地のものであって、
彼女自身のものではないのかもしれません。


「一人ひとりに空がある」

誰かという存在は、
自分と他人の境界をつくります。

そのおかげで、自分という輪郭が見えてくる。

けれど同時に、
比較という苦しさも生まれる。


今年に入ってから、彼女は
誰かの声を気にするのをやめたそうです。

すると、不思議なことに
心の中がすっと晴れていった。

迷いがなくなり、
ただ「いま」を感じられるようになったといいます。


比べる対象を手放したとき、
残るのは、自分の感覚だけ。

それは、とても静かで、
けれど確かなものです。


たくさんの花があるからこそ、
それぞれの美しさがわかる。

けれど、
どの花が正しいかを競う必要はありません。


誰かの空ではなく、
自分の空を生きるということ。

それは、特別なことではなく、
ただ自然なことなのかもしれません。


あなたの空には、
いま、何が浮かんでいますか。

過去の記録と、いまの思考。

それぞれ別の場所に残しています。

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