分からないということ

金木犀の花が、
少しずつ地面に落ちている。


気づけば、
季節はまた移ろうとしている。


この時期は、
身体の不調を訴える人が増える。

冷えや、日照の変化。
目に見えない揺らぎが、
少しずつ影響してくる。


先日の往診で、
ある方が言った。

「体が痒くて仕方ない」


施術をすると、
その場ではおさまる。

けれど、
しばらくすると、
別の場所が痒くなる。


一箇所にとどまらない。

移ろうように、変わっていく。


原因を考える。

いくつかの見立ては立つ。


けれど、
どこかしっくりこない。


話を聞く中で、
食事が変わったことを知る。

体重も、少し落ちている。


触れてみると、
下腹に力がない。

脚も、以前より細い。


何かが足りていない。


そう感じながらも、
それを一つの言葉に
収めることはできなかった。


整えるとは、
何を指しているのか。


症状を追いかけることなのか。

それとも、
その人を支えているものに
触れることなのか。


年齢を重ねると、
食べる量も、動く量も、
少しずつ変わっていく。


その中で、
何を保つのか。

何が先に失われるのか。


はっきりとは分からない。


ただ、
触れていると感じることがある。


症状だけでは、
見えないものがある。


その人の中にある、
力のようなもの。


それが弱くなったとき、
身体は、
違う形で知らせてくるのかもしれない。


痒みの理由は、
最後まで一つにはならなかった。


けれど、
分からないままにしておくことも、
必要なのだと思う。

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