新しいものと、残り続けるもの

日清戦争が終わった頃、明治30年代。
日本では鍼灸や漢方が衰退期に入っていく。

いわゆる文明開化の時代である。

政府は漢方医を制度から排除し、
その数は約2万3000人にのぼったと言われている。

さらに制度が変わり、
西洋医学の医師でなければ
漢方薬を処方できなくなった。

つまり
西洋医学の枠組みの中に
漢方が組み込まれていったのである。


当時、多くのインテリ層は
新しい医学として西洋医学に強い期待を寄せた。

科学的であり、
合理的であり、
近代的である。

そうしたイメージがあったのだと思う。

しかし時間が経つにつれて、
ある疑問も生まれてくる。

思ったほど
病気が治らないのではないか。

そんな不信感が少しずつ広がったと言われている。


そして興味深いことに、

かつて
鍼灸や漢方を捨てていった人々が

大正から昭和にかけて
再び古い医学に関心を持つようになる。

新しいものを受け入れたあと、
もう一度
古いものを見直す。

歴史の中では
そうした動きが何度も起きている。


同じような現象は
近年の中国でも見られる。

結局のところ

新しいから正しいわけではなく、
古いから間違っているわけでもない。

長く残っているものには、
それなりの理由があるのかもしれない。


西洋医学は
強い治療を得意とする。

外科手術。
薬物療法。
放射線療法。

短い時間で
大きく状態を変える力がある。

それは
現代社会のスピードとも
相性が良い。


一方で
鍼灸や漢方は

身体の状態を整えながら
ゆっくり変化を見ていく。

どちらが良いかというより、
前提となる価値観が違うのだと思う。


忙しく、
時間が限られている人は

西洋医学の考え方を
選ぶことも自然だろう。

ただその中で、
どこか違和感を感じる人もいる。

そうした人は

日頃から身体を整える
という選択をすることがある。


強い治療は、
ときに身体に負担を伴う。

もちろんそれは
必要な場面もある。

だからこそ
それを受けなくて済むように
日常の中で身体を整えておく。

そういう考え方も
あって良いのではないかと思う。


鍼灸は
劇的に治すものだろうか。

私はそうは思っていない。

身体は本来、
休息をとり
疲れを抜くことで
少しずつ回復していく。

その流れを
整えること。

鍼灸は
そのための方法のひとつだと
考えている。


だから私は
不自然に人を治すということはしない。

人が本来持っている営みを
邪魔しないように

身体に負担の少ない形で
鍼灸を行っている。


もし
そうした考え方に興味がある方は、

茨城大学名誉教授
真柳誠先生の

『現代 中医鍼灸学の形成に与えた日本の貢献』

という論文も
読んでみてほしい。

歴史の流れの中で
東洋医学がどのように形づくられてきたのか、
興味深い視点が得られると思う。

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