気づくということ

身近な人が体調を崩した。

身体のあちこちに、
問題が見つかったという。


それまで、
大丈夫だと言っていた人が、
少し気を落としている。


その姿を見て、
少し驚いた。

けれど、
同じことが自分に起きれば、
きっと同じように感じるのだと思う。


私は、
易の考えに触れている。


人にも、
自然にも、
流れがある。


満ちるときもあれば、
欠けるときもある。


今年で四十一歳になる。


以前のような鋭さはなく、
無理も利かなくなってきた。


それは衰えなのか、
それとも変化なのか。


もし長く生きられたとしても、
同じ感覚のままでいることは、
できないのだと思う。


時間は、
戻らない。


夏の終わり、
蝉の声が遠のいていく。

蜻蛉が飛び始める。


季節が移るのと同じように、
人もまた、
その中にいる。


あるとき、
恩師が言った。

鍼灸は禅だと。


その意味を、
いまになって考えている。


痛みを取ることはできる。

けれど、
それだけではない気がしている。


何かに気づくこと。

それが、
変化の始まりになることもある。


病気は、
ただの不具合なのか。


それとも、
何かに触れるための
きっかけなのか。


はっきりとは分からない。


ただ、
立ち止まる理由にはなる。


どう生きるのかを、
少しだけ考える時間になる。


その積み重ねが、
最後にどう残るのか。


笑って終われるのか、
それとも別の形になるのか。


それもまた、
今の延長にあるのだと思う。

目次