医療と支配の構造

いま、

 

趣味でバスケットボールをしています。

 

いくつかのグループに参加しているのですが、

 

それぞれで雰囲気がまったく違うことに気づきました。

 

 

規則がしっかりしている場所。

 

自由に任されている場所。

 

 

規則があると秩序は保たれる。

 

けれど、

 

自由は少なくなる。

 

 

逆に、

 

自由があると動きやすい反面、

 

まとまりを失うこともある。

 

 

このバランスはとても難しい。

 

 

なぜこうなるのか。

 

 

日本には、

 

集団の中で生きてきた歴史があります。

 

 

農耕を基盤とした村社会。

 

 

そこでは、

 

秩序と役割が重要でした。

 

 

さらに、

 

仏教や儒教の影響もあり、

 

個人よりも「和」が重んじられてきた。

 

 

その結果として、

 

上に従う構造、

 

いわゆるトップダウンが自然なものになっています。

 

 

私は臨床の中で、

 

この影響を感じることがあります。

 

 

病気を抱えた人は、

 

身体だけでなく、

 

環境や経済、社会的な制約も受けています。

 

 

その状態では、

 

自分で選ぶ力が弱くなりやすい。

 

 

だからこそ、

 

「誰かに導いてほしい」という心理が生まれる。

 

 

私は、

 

医療は宗教と似ている側面があると感じています。

 

 

不安や苦しさを抱えた人に対して、

 

安心や答えを提示する。

 

 

それ自体は悪いことではありません。

 

 

けれど、

 

そこに支配が入り込む余地がある。

 

 

強い言葉。

 

断定的な説明。

 

不安を煽る表現。

 

 

そうしたものは、

 

人をコントロールする力を持っています。

 

 

私は、

 

施術者がその立場を利用して、

 

優位に立つことに違和感があります。

 

 

だから、

 

必要以上に断定しない。

 

 

不安を煽らない。

 

 

「すごさ」を見せつけない。

 

 

そういう姿勢でいたいと思っています。

 

 

鍼灸が優れているかどうか。

 

 

それは、

 

受けた人が感じることであって、

 

こちらが強く主張するものではない。

 

 

大切なのは、

 

支配しないことです。

 

 

患者さんの選択を奪わないこと。

 

 

自発性を残すこと。

 

 

余白をつくること。

 

 

あなたの人生は、

 

あなたのものです。

 

 

誰かに委ねる必要はありません。

 

 

他人軸ではなく、

 

自分軸で考える。

 

 

責任を外に預けるのではなく、

 

自分のために引き受ける。

 

 

そのために、

 

私はあえて、

 

鍼灸の細かい話ばかりはしません。

 

 

技術ではなく、

 

考え方を書く。

 

 

健康は、

 

日々の意識の積み重ねだからです。

 

 

規則と自由。

 

 

どちらかに偏るのではなく、

 

その間に立つこと。

 

 

軸を持つこと。

 

 

それが、

 

「道」から逸れないということだと思います。

 

 

これからの時代は、

 

何かに従うだけではなく、

 

自分で選ぶことが求められます。

 

 

誰かの正解に合わせる必要はありません。

 

 

まずは、

 

自分を大切にすること。

 

 

そこからすべてが始まります。

















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