新聞を読んでいると、
ときどき思いがけず、
答えのようなものに出会うことがあります。
先日、文化面に掲載されていた
作家同士の対談を何気なく眺めていたときのことです。
そこには
「自分らしく」という言葉への違和感が語られていました。
人と比べずに生きることは、本当に可能なのか。
その問いを読んだとき、
どこか引っかかるものがありました。
人は誰かと関わりながら生きています。
それなのに
「自分らしさ」だけに意識が向くと、
世界から相手の存在が薄れていく。
自分のための選択、
自分のための表現、
自分のための正しさ。
気づけば、そこには
“誰か”がいなくなってしまうのです。
けれど本来、
物事は一方だけでは成り立ちません。
光があれば影があり、
善があれば悪がある。
東洋思想でいう陰と陽のように、
どちらもあってはじめて、ひとつになります。
「私」は、
「誰か」とともに存在している。
それは当たり前のようで、
とても繊細なことです。
例えば、サッカーの試合。
ピッチに立つ選手だけでなく、
相手チーム、観客、審判、
その時間を共有するすべてが関わっています。
それは対立ではなく、
ひとつの場をつくる関係です。
鍼灸も同じだと思うのです。
施術者と患者、
道具と身体。
それぞれが分かれて存在するのではなく、
ひとつの流れの中にある。
そこに無理な力や意図が入ると、
どこかに歪みが生まれます。
だからこそ、必要なのは「透明さ」なのかもしれません。
自分を強く出すのではなく、
何かになろうとするのでもなく、
ただ、そのままでいること。
余計なものを持たず、
相手と向き合う。
そうすると、
見えなかったものが見えてくる。
言葉にならない感覚や、
身体の奥にある変化が、
静かに伝わってくる。
鍼が生きるとき。
それは、
誰かが何かを「する」瞬間ではなく、
人と人とが、
無理なく重なったときに
自然と起こる現象なのだと思います。
私は、
その調和の中で起こる変化を大切にしたい。
あなたと、
鍼と、
そしてその場の空気と。
静かに整っていくような、
そんな時間をつくれたらと思っています。

