今日は仕事を休み、
自宅でゆっくり過ごしている。
パソコン作業をしたり、
ラジオを流したり、
本を読んだり。
普段あまりしない時間の使い方をすると、
思考も少し違う方向へ向かう気がする。
今日は先日紹介した
漢方の本について書いてみたい。
そもそも、
医学はひとつのはずなのに
なぜ
西洋医学と東洋医学
という分かれ方をしたのだろうか。
その背景のひとつに、
パスツールによる「病原菌」の発見があると言われている。
それまで多くの地域では、
病気は悪霊や目に見えない存在によるものだと考えられていた。
しかし顕微鏡によって、
細菌という存在が確認された。
ここから
近代医学の流れが大きく変わっていく。
では、
それによって
西洋医学が
東洋医学より
優れていたということになるのだろうか。
必ずしも
そう単純な話ではない。
実際、
明治維新の頃まで
日本の医学の主流は
漢方だった。
それでも
西洋医学が広まっていった。
その理由は
「優れていたから」というよりも
医療の一般化に向いていた
という側面が大きかったと言われている。
西洋医学は
理論
診断
治療
それらを
教育として体系化することができた。
つまり
何年で医師を育てるのか
どれくらいの人数を育成できるのか
そういったことを
計算することができた。
一方で
東洋医学には
口伝
秘伝
家伝
といった文化があった。
どのような治療をしたのか。
どんな処方を使ったのか。
それらが公開されないことも多く、
教育として広げるには
難しい側面があった。
だからこそ
東洋医学には
「当たり外れがある」
と言われることもある。
もっとも、
それは西洋医学の世界でも
全くないとは言えないだろう。
医師にも、
看護師にも、
人による違いはある。
ただここで大切なのは、
東洋医学と西洋医学は
単純に優劣で分かれたわけではない
ということだと思う。
時代によっては、
治療の面では
東洋医学の方が
優れている部分もあったと言われている。
それでも
広がらなかった。
それは
一般化に向いていなかった
という事情があったからだ。
私自身も
恩師から多くのことを教わった。
ただ、それらの中には
簡単に口外できないものもある。
教わったというよりも
伝授された
という感覚に近い。
最近、よく思う。
こうした在り方は
現代の時代には
合っていないのかもしれない。
しかし同時に、
その精神まで失ってしまうのは
少し違うようにも感じる。
技術だけではなく、
そこにある姿勢や
人の在り方。
そうしたものも含めて
伝統なのかもしれない。
だから私は
大きなことはできなくても
小さく
静かに
伝統的な鍼灸を続けていきたいと思っている。
それは仕事というよりも、
どこか
未来へつなぐ役割のようなものなのかもしれない。

