医学の手前にあるもの

鍼灸に携わって、
二十年以上が過ぎた。


多くの人の身体に触れてきて、
ひとつの問いが残っている。


なぜ、
同じように生活していても、
崩れる人と、そうでない人がいるのか。


回復が早い人と、
そうでない人の違いは、どこにあるのか。


技術や知識だけでは、
説明しきれない何かがある。


そのことを考えていると、
古い言葉に戻ることがある。


食べたものが、
そのまま身体をつくる。


動くこと、
休むこと、
巡ること。


どれも、
当たり前のことばかりだ。


けれど、
その当たり前が崩れたとき、
身体は静かに変化していく。


現代は、
多くの情報がある。


何を食べるか、
どんな治療を受けるか。


選択肢は増えている。


それでも、
根本的なところは変わらない。


整っている人は、
どこか自然だ。


無理がない。


逆に、
崩れている人ほど、
何かを足そうとしている。


足すことが、
悪いわけではない。


ただ、
その前にできることがある。


食べすぎていないか。


休めているか。


身体は、
ちゃんと外に出せているか。


単純なことの積み重ねが、
そのまま状態になる。


治すのは、
技術ではなく、身体の側にある。


こちらができるのは、
それを邪魔しないことと、
少しだけ後押しすること。


鍼灸も、
そのひとつだと思っている。


何かを加えるというより、
動きを思い出させる。


きっかけのようなもの。


医学は、
とても大切だ。


けれど、
その手前にあるものを見落とすと、
どこかで行き詰まる。


自分の身体が、
どう在ろうとしているのか。


それに気づけるかどうかで、
変わるものがある。


すぐに答えが出るものではないが、
少しずつ整っていく感覚は、
誰の中にもあるように思う。

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