ちょうど2年前のこと。
豊洲で鮪を扱う友人と、
鍼灸について話していました。
そのとき、彼がふと言いました。
「鍼灸の効果って、不透明だよね」
その言葉に、
腹立たしさはありませんでした。
むしろ、妙に納得してしまったのです。
たしかに、不透明です。
彼の仕事は鮪を扱うこと。
目の前にあるものを見て、選び、扱い、届ける。
とても分かりやすい世界です。
一方で、鍼灸院は
何かの「モノ」を売っているわけではありません。
売っているのは、技術です。
けれどその技術は、
目に見えるものではない。
だから、不透明なのだと思います。
このことが気になり、
以前読んだ資料を本棚から取り出しました。
竹谷三男による
「科学的認識三段階論」です。
現象として捉える段階。
法則として整理する段階。
そして、本質として理解する段階。
おそらく彼の言う「不透明」は、
この本質のレベルを求めているのだと思います。
つまり、
誰にでも当てはまる説明や、
再現性のある仕組み。
例えば、生卵を茹でれば茹で卵になる。
温度によって凝固が進むというのは、
分かりやすい法則です。
けれど実際には、
鍋の中で卵がどう動いているのかまでは見えません。
割れることもあるし、
うまく殻が剥けないこともある。
そのときに感じる違和感は、
「思っていた通りにならなかった」ということにあります。
以前、電車が40秒遅れたことで
クレームが入ったという話を聞いたことがあります。
40秒も、なのか。
40秒しか、なのか。
その意味は、人によって変わる。
本来、電車が定刻に来るという前提も、
私たちの中にある「理解」に過ぎません。
人が関わるということは、複雑です。
同じことをしても、
同じ結果になるとは限らない。
だからこそ、予測はあくまで予測でしかない。
認識には、必ずズレが生まれます。
そして、
目に見えない変化ほど、曖昧になります。
いまの時代に必要なのは、
その「曖昧さ」を排除することではなく、
理解しようとする姿勢なのかもしれません。
もちろん、施術をおこなう以上、
私は一定の質を保つ必要があります。
プロとして、
再現性を高める努力は欠かせません。
だからこそ、
主観だけに頼らず、
できる限り客観的に捉えるよう心がけています。
ただその一方で、
「こうでなければならない」という基準が、
いつの間にか自分を縛ってしまうこともある。
そのことについては、
またあらためて書いてみようと思います。

