見えているものと、見えていないもの

湖を泳ぐ白鳥。

水面は静かで、
ただ優雅に滑っていくように見える。

けれど水の中では、
見えないところで足を動かし続けていると、
昔、恩師から聞いたことがあります。


ふと、その話を思い出しました。

画面に映る人たち。
華やかに見える人たち。

けれどその裏側には、
繰り返してきた時間や、
人には見せない努力があるのだと思います。


ある日、
渡辺直美さんの話を目にしました。

片言の日本語に悩んだ過去。

いま見えている姿からは、
その時間を想像することはできませんでした。

ただ、少しだけ想像してみると、
胸の奥が静かに締めつけられるような感覚がありました。


人はどうしても、
見えているものにだけ目を向けてしまいます。

見えていないものには、
なかなか気づくことができない。


治療院で出会う人たちも、同じです。

言葉にされない理由。
外からは分からない背景。

自己評価の低さも、
怒りも、
悲しみも、

そこには必ず、何かがあります。


社会の中では、
人は整えられた姿で過ごします。

けれどそれを外したときも、
やはりその人自身です。


だから私は、
その奥にあるものを観ようとします。

症状だけではなく、
その人そのものを。


施術とは、
ただ整えることではなく、

どこかで見過ごされてきたものを、
静かに受け取ることでもあるのかもしれません。


特別な誰かでなくても、
人はそれぞれに、日々を生きています。

見えないところで、
それぞれに。


その疲れや、
言葉にならない重さに触れること。

それもまた、
私の仕事なのだと思います。


そんなことを、ふと思い出しました。

過去の記録と、いまの思考。

それぞれ別の場所に残しています。

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必要な時にのぞいてみてください。

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