高齢のご夫婦のもとへ、
往診に伺っている。
京成八幡の近く。
静かな住宅街にある、
築年数を重ねた日本家屋。
居間には、やわらかな光が入り、
庭木が揺れている。
遠くを走る電車の音と、
子どもたちの声が重なる。
その空間で、
言葉を交わしながら施術をする。
草木の話や、
何気ない出来事。
ただの世間話のようでいて、
どこか違う。
暮らしの断片が、
少しずつ見えてくる。
どんな椅子に座り、
どんな食卓で過ごしているのか。
何を見て、
何を感じているのか。
そうしたものは、
身体と切り離せない。
限られた条件の中で、
施術を組み立てていく。
特別なことをしているわけではない。
ただ、
見ている。
呼吸の深さ、
声の調子、
視線の動き。
そして、
その場の空気。
言葉にならないものが、
いくつもある。
今朝、
総合診療の特集を目にした。
時間をかけて、
丁寧に話を聞いていく。
それを見ていて、
思うことがあった。
短い時間では、
届かないものがある。
一方で、
長く関わることで見えてくるものもある。
鍼灸は、
後者に近い。
時間をともにし、
少しずつ知っていく。
変化は、
急には現れない。
けれど、
確かに動いている。
鍼灸の良さは、
おそらく距離にある。
遠くから判断するのではなく、
近くで感じる。
数値ではなく、
人をみる。
暮らしに触れながら、
その人の中にあるものを待つ。
派手さはない。
劇的でもない。
それでも、
この距離の中にしか見えないものがある。
人に近いところで、
人をみる。
ただ、それだけのことを
続けている。

