根拠のないもの

少し前、
テレビを観ていたときのこと。


「根拠のない迷信」


そんな言葉が、
耳に残った。


かつて日本酒は、
神様がつくるものだと考えられていた。


やがて、
酵母の存在が知られる。


理由が、
あとから見つかる。


そういうことは、
少なくないのだと思う。


鍼灸も、
似ている。


言葉のない時代、
人はただ触れていた。


痛む場所に、手を当てる。


押す。
揉む。


ときに、
なめることもあっただろう。


泥を塗り、
葉を当てる。


火を使うようになって、
温めることを覚える。


さらに、
切ることで外に出す。


そうした行為は、
当時でいえば
「根拠のないもの」に見えたかもしれない。


けれど、
それは繰り返されてきた。


うまくいったことだけが、
残ってきた。


あとになって、
理由が与えられる。


科学は、
その説明の一つだと思う。


ただ、
すべてを置き換えられるわけではない。


人が人に触れるとき、
そこには言葉がない。


理屈でもない。


触れられることで、
少し落ち着くことがある。


それが何なのか、
うまく説明できない。


けれど、
確かにある。


最後まで説明しきれないものは、
残る。


それを
迷信と呼ぶのか、
経験と呼ぶのか。


名前は、
あとからつく。


人は理解できる範囲で、
世界を切り取る。


けれど、
その外側もまた、存在している。


すべてを知ろうとするほど、
見えなくなるものがある。


それでも、
触れることはやめない。


たぶん、
それでいいのだと思う。

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