生き方がそのまま出る

今回は、
五代目 柳家小さん 師匠の言葉から学んだことについて。

「芸は人なり」

ずるい人は、ずるい噺になる。
卑怯な人は、卑怯な噺になる。
偉そうな人は、偉そうな噺になる。

だからこそ、
人そのものが、そのまま芸にあらわれる。

この言葉は、
いつもどこかで自分に問いかけてきます。

ずるくないか。
卑怯ではないか。
偉そうにしていないか。

あるとき、恩師に
「最近どうですか」と聞かれたことがありました。

私は
「だんだん分かってきました」と答えました。

すると一言、
「傲慢です」と。

そのときに気づかされたのです。

ほとんどのことは、分からないままだということに。

コロナのこともそうですが、
世の中の多くは、はっきりとした答えがあるわけではありません。

それなのに、
分かったつもりになること。

それが一番危うい。

だからといって、
分からないまま放置するのも違う。

分からないからこそ、考え続ける。

その繰り返しの中にしか、
前に進む道はないのだと思います。

なぜ、鍼灸について多くを語らないのか。

それは、分からないからです。

分かったと思った瞬間に、
それは手の中からこぼれ落ちていく。

「芸は砂の山」

積み上げても、すぐに崩れる。

だからこそ、
上り続けるしかない。

二十年続けても、
日々新しい発見があります。

そしてそれは、
他の誰かが同じようにやっても再現できるものではない。

だから鍼灸は、技術でありながら、
どこかで“芸”なのだと思います。

芸は人が出る。

だから、ごまかしは効きません。

どれだけ整えた言葉よりも、
どれだけ磨いた技術よりも、
最後に伝わるのは、その人そのものです。

きれいごとに聞こえるかもしれません。

疑う人もいると思います。

それでも、
不誠実なことはしません。

人を生かすことを生業としている以上、
その場を軽く扱うことはできない。

だからこそ、
時間も、関わり方も、大切にしています。

遅刻や無断キャンセルを受け入れないのは、
厳しさではなく、前提の共有です。

ここに来る人の時間も、
私の時間も、同じように大切だから。

それは傲慢ではなく、
仕事に対する姿勢です。

静かに、ただ誠実に向き合う。

それだけのことですが、
それが一番難しいのかもしれません。

過去の記録と、いまの思考。

それぞれ別の場所に残しています。

note(記録)
Threads(思考)
Instagram

活動はFacebookに。

必要な時にのぞいてみてください。

目次