「まだ痛い」と言う前に

慢性的な痛みを抱えている人が、
一度の施術のあとにこう言うことがある。

「まだ痛みが残っています」

その言葉を聞くたびに、
私はひとつの問いを思い浮かべる。

慢性とは、いったい何だろうか。


慢性とは時間の蓄積

慢性とは、時間の蓄積である。

昨日始まったものではない。
数ヶ月、あるいは数年。
場合によっては十年以上かけて、

身体が覚えてしまった状態だ。

姿勢の癖。
呼吸の浅さ。
思考の緊張。
生活の選択。

そうしたものが重なり、
やがて痛みという形で現れる。

もしそれが事実なら、
三年かけて固まったものが
六十分で消えると考えるのは、

少し無理がある。

これは技術の問題というより、
理解の問題なのだと思う。


私たちは速さに慣れている

今の社会は速い。

欲しいものは翌日に届き、
検索すれば答えはすぐに出る。
動画は倍速で再生される。

映画の演出さえ、
退屈な時間を作らないよう
テンポが設計されていると言われている。

スマートフォンが普及してから、
人は待つことに慣れなくなった。

ただ、それはスクリーンの中の話だ。

身体は、
その速度では変わらない。

身体は学習する存在で、
一度覚えたものは
ゆっくりとしか書き換わらない。


痛みは結果である

痛みは敵というより、
これまでの生活の結果に近い。

身体が壊れているというより、
むしろ適応してきた結果とも言える。

無理をしながら動き続ける。
緊張を抱えながら生活する。

そうした時間の中で、
身体は痛みという形を選ぶことがある。

その背景を無視して
一度で消えることを前提にすると、

身体が歩んできた時間は
見えにくくなる。


施術について

施術で起きるのは、
大きな変化というより、

身体が別の可能性を
思い出すことだと思っている。

固まっていた緊張がほどけたり、
呼吸の余白が戻ったりする。

ただ、それが定着するには
ある程度の時間が必要になる。

慢性は時間でできたものだから、
ほどけるのもまた時間の中で起きる。


これから

最近、施術の目的について
少し考え直すようになった。

これからは、
痛みを直接消すことを目的とした施術は
行わないことにしている。

理由は、
痛みそのものよりも
その背景にある構造に
関心があるからだ。

身体はなぜ緊張するのか。
なぜそれが続くのか。
なぜ痛みとして現れるのか。

そうした構造を
知ろうとする人に向けて、

その見方を
少しずつ紹介していこうと思っている。


痛みを消すことよりも、
痛みが生まれる構造を知ること。

その理解の中で、
身体の変化は起きていくのだと思う。

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