鍼灸を受け続けて意味があるのか

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医療資本主義という構造

Aさんは10年通っている。

症状が強いわけではない。
数値が悪いわけでもない。

それでも2週に一度、来る。

理由はこうだ。

「何となく、続けていると調子がいいから。」

この言葉は、いまの医療の構造から見ると、とても曖昧だ。

なぜなら、
医療は“成果”を求めるからだ。


医療が「市場」になったとき

現代医療は高度で、精密で、素晴らしい。

救急医療も、外科手術も、集中治療も、
人類の到達点と言っていい。

しかし同時に、
医療は巨大な産業でもある。

検査。
投薬。
手術。
データ管理。
医療機器。

すべてが経済の中に組み込まれている。

利益を出さなければ維持できない。

ここで起こるのは、
「病気を扱うほうが収益になる」という構造だ。

未病は、儲からない。

数値に出ない不調は、保険点数にならない。

つまり制度上、
“悪化してから”のほうが評価される。

誰かが悪意を持っているわけではない。

構造がそうなっている。

これを私は、医療資本主義と呼びたい。


構造は、患者の意識を作る

医療が市場化すると、
患者は「消費者」になる。

・症状を治してもらう
・結果を出してもらう
・費用対効果を求める

医療はサービス業になる。

すると意識はこう変わる。

「悪くなったら行けばいい」
「不調は専門家が何とかする」
「自分は依頼者だ」

身体は、本来、連続して変化している。

健康と病気の間には、長いグラデーションがある。

しかし市場構造は、
0か100でしか扱えない。

健康か、病気か。
治ったか、治っていないか。

その間にある“揺らぎ”は、商品にならない。

だから、人は揺らぎを無視する。


Aさんはなぜ市場に乗らないのか

Aさんは、壊れていない。

それでも来る。

なぜか。

市場の論理ではなく、
身体の論理で動いているからだ。

「何となく調子がいい」

これは数値ではない。
体感だ。

自分の内側を基準にしている。

だから続く。

これは依存ではない。

主体性だ。


鍼灸はどこに立つのか

鍼灸は、巨大産業ではない。

がんを治すとも言わない。
糖尿病を治せるとも言わない。

第一に優先されるのは標準治療だ。

しかし、医療資本主義の外側に、
小さな隙間がある。

未病。
揺らぎ。
崩れる前の微細な変化。

そこに触れられる。

鍼灸は、
火事の消火ではなく、
ボヤの管理に近い。

市場では評価されにくい。

でも社会全体で見れば、
最も合理的かもしれない。


医療は否定しない。だが構造は問う。

私は医療を否定していない。

むしろ尊敬している。

救急や外科がなければ、多くの命は救えない。

しかし、
「病気が増えるほど経済が回る」という構造は、
本当に健全なのか。

公立病院が赤字になり、
慢性疾患が増え、
薬が増え続ける。

これは個人の怠慢ではない。

構造の問題だ。


本当に必要なのは何か

医療を修理業から保守業へ。

患者を消費者から主体へ。

「治してもらう」から
「崩れないように整える」へ。

Aさんの10年は、
小さな抵抗かもしれない。

市場の論理ではなく、
身体の論理で生きる。

派手ではない。
数字にもならない。

でも、その積み重ねこそが
医療費を減らし、
社会を安定させる。


「何となく調子がいい」という反市場的選択

劇的な治癒ではない。

SNSで拡散されるような奇跡でもない。

ただ、

「何となく調子がいい」

それを10年続ける。

これは、
医療資本主義の構造に対する、
静かなカウンターだ。

私はそこに、
鍼灸の役割があると思っている。

大きく変えるのではない。

静かに、小さく、
構造の隙間を支える。

それだけだ。

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