個と全体

子供が通う小学校でクラスで暴力事件が発覚しました。
一か月が経って「年度内に緊急保護者会を開催するべきである」という声があがり放課後に父兄が集まったのですが、不思議なもので集団暴力によるイジメのことよりも声が上がったのは「先生からうちの子供が酷い言葉をかけられている」「強く引っ張られた」「飴玉を学校で食べていることを教員は気づかないのか?」という声でした。

今回の事件では、当事者の父兄からの謝罪よりも家庭での教育を優先されていましたが、この件に関わった子供の親が担任や学校の批判をしていることに驚いたことは言うまでもありません。

以前、同級生から「江戸川区の教員採用試験の倍率が1.1倍なんだ」と言う話を聞いていたので、こういったことが現実としておきていて、さらに問題の矛先が学校や教員に向けられるということを実感しました。この時代に教員を目指す人は限りなく少ないかもしれません。

私の目の前で起きているものは、いじめに等しいと思うのです。そしてこの問題は「子供」「学校」で起きた限定されたものではなく、それぞれの当事者意識なのだと思うのです。つまり「個」が「全体」に影響を及ぼしているという事です。

仕事柄、邪正一躰で考えてしまうのですが、この暴力はそれぞれの個の先にあった結果であったと考えています。
ですから扶正袪邪という考えにより1つを取り除けば良いというものではありません。目に付くものは取り除けば良いのではなく全体から個をみる必要性があるのです。

そのため情報共有による意思疎通と各家庭での教育、そして学校と地域への関心をもつべきだと思うのですが、思考や習慣というものはそう変わるものでもないことも事実。実際には理想主義だけではダメですよね。つまり私という個もまた全体に与えた影響があるわけで、時に刺激がなければ全体は動きません。

今回、学校と教育委員会の当事者意識は低く、県庁に相談をしてようやく緊急保護者会は開催されたのですが、目の前で起きたことは加害者の親が学校と担任を吊るし上げることでした。私は今回のことで社会の縮図をみた気がします。

この話はイジメ問題についてだけの話ではなく個と全体の話なのですが、病気でいえば「血圧のせいです!」「煙草を吸うからです!」「ダイエットしましょう!」、鍼灸だと「気の問題です!」「瘀血です!」になるわけです。
しかし、それ単体で何かを起こすことは無く、それが生じた問題は複合的であるからこそ、問題を限定的に捉えることは難しい。そのことに対して想像力が欠如している人が多いのはなぜなのか。

私の鍼灸施術は、肩こりであっても日常気になる点から全体を確認します。
ある人は肩こりを取ってくれれば良いと思いますが、それが歯科矯正や心臓の問題という事もあるわけです。
そうするとアプローチが変わるため手順や方法を変える必要が出てきます。
こういった方法が鍼灸の正しさなのだと主張したいわけではなく、東洋医学なのに西洋医学と同様の方法をとるのであれば整形外科で処置を受ければ良くて、その方法では解決しない人は東洋医学を選択すれば良いと思います。

私は、あなたの困っていることを真剣に聞きますし、鍼灸という方法で今よりも楽になってもらえるように努力します。
それが私の仕事だと思っています。

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