「運がいい人ですね」
そう言われることがある。
けれど最近、私はこう思うようになった。
運の正体は、
人との縁なのではないか。
お金が入る。
仕事が広がる。
紹介が生まれる。
人生の扉が開く。
そのどれもをよく考えると、
必ず人を介して起きている。
突然、空から仕事が降ってくることはない。
誰かがいて、
誰かが思い出し、
誰かが声をかけている。
運とは、
縁の流れのことなのかもしれない。
人生の転機を振り返ってみても、
そこには必ず人がいる。
信頼してくれた人。
支えてくれた人。
反発してくれた人。
離れていった人。
縁が変わると、環境が変わる。
環境が変わると、思考が変わる。
思考が変わると、選択が変わる。
そして結果として
「運が変わった」と感じる。
でも本当は、
縁の構造が変わっただけなのかもしれない。
臨床でも似たようなことが起きる。
症状だけを見ていると、
なかなか変化しないことがある。
けれど、
誰と一緒にいるのか。
どんな環境にいるのか。
どんな言葉を浴びているのか。
それが変わった瞬間、
体がふっと緩むことがある。
大宮で働いていた頃、
余命三ヶ月と告げられた胆管がんの男性がいた。
その方はこう言っていた。
「離婚したり、仕事を辞めたりすると治る人もいるらしいね」
そして実際に、
彼は多くのものを手放した。
余命三ヶ月と言われながら、
その時点で一年近く元気に過ごしていた。
もちろん、
こういった話を誰かに押しつけるつもりはない。
「鍼灸をすれば元気になる」という
単純な話でもない。
ただ、人は人と生きている。
働くという言葉は
「傍を楽にする」と書くと言われるけれど、
実際には、
人に消耗することもある。
だから、
個人の問題だけではない。
人に疲れるというのも、
不思議な話ではないのだと思う。
人は環境の生き物であり、
関係性の中でしか変化できない。
これは東洋医学の
「全体を観る」という感覚とも通じている。
もし運の正体が縁だとしたら、
やるべきことは案外シンプルだ。
縁を大切にすること。
そして同時に、
縁を選ぶこと。
すべての縁を抱える必要はない。
むしろ、
縁を整理することが
運を整えることなのかもしれない。
最近、私は
できるだけシンプルに生きたいと思っている。
余計なものを削ぎ落とし、
本当に関わりたい人とだけ深く関わる。
それは、
運を上げたいからではない。
普通に考えても、
波長の合わない人と付き合い続けるのは疲れる。
ただ、
良い縁の中で仕事をしたいだけだ。
結果としてそれが
「運がいい」と呼ばれるなら、
それでいい。
運を追いかけると、
人は焦る。
縁を整えると、
静かになる。
静かなところに、
本当に必要な流れはやってくる。
私は今、
運を上げようとは思っていない。
ただ、
縁を丁寧に扱いたいと思っている。
それがきっと、
一番自然な“運の育て方”なのだろう。
いちばん確かな“運の育て方”なのだろう。

