妻が先に寝た。
体調管理のために始めた水泳で、疲れが出たのだろう。
普段は子供が寝てから妻は寝るのだけど、ママに先に寝られてしまった末子が、
「眠くない」
と、目の前に現れた。
どこか、構ってほしそうな顔をしている。
「耳かきしてあげようか?」
そう声をかけると、もじもじと視線をそらした。
「いいよ」
と拒みながらも、目は落ち着かない。
甘えたいのに、素直に言えなくなる。
そんなふうに、心は少しずつ成長していくのだろう。
そばに呼び寄せて、綿棒を手に取った。
耳かきをしているうちに、だんだんと目を閉じていく。
その様子を見る限り、本当は眠いのだろう。
横に置いてあった往診鞄から、鍼と灸を取り出した。
「これやると眠くなるよ」
そう伝えた。
もちろん、鍼や灸をしたからといって、すぐに眠くなるわけではない。
ただ、少しだけ“おまじない”のような気持ちで、肌に触れる時間をつくる。
線香に火をつけると、いつものリビングが少しだけ違う空気に変わる。
灸をすることが目的ではない。
温もりが伝われば、それでいい。
鍼もまた、刺すことが目的ではない。
ほんのわずかな刺激が、身体の力を抜くきっかけになればいい。
先日、ある人が娘との出来事を書いた記事を読んだ。
夜中に泣きながらやってきた娘を抱きしめ、翌朝「昨日はありがとう」と言われた父親が、
「パパは困った時のためにいるんだからいいんだよ」
と伝えたという。
それを、その人は「おまじない」と表現していた。
私は、同じ言葉はかけない。
けれど、
「鍼をしたから大丈夫。終わる頃には眠くなるから」
そう伝えた。
鍼と灸を終えると、末子は自分で布団へ行き、タオルケットをかけた。
そして、すぐに眠ってしまった。
これが、おまじないなのか。
それとも、プラセボなのか。
あるいは、本当に鍼や灸によって身体の緊張がゆるんだのか。
それは分からない。
ただ、コントロールしたいわけではない。
安心して眠りについた姿を見る限り、
それが何によるものかは、もはや重要ではないのだ。
彼が親になったとき、同じように子供を温めてくれたら、それでいい。
そんなことを思う。

