袖振り合うも多生の縁

ほんの些細な出会いでさえ、
何らかの縁によるものだ。

そう考えると、
人は自分ひとりで生きているようで、
そうでもない。

誰と出会うか。
誰の言葉を信じるか。
誰と飯を食べるか。

人は自分で決めているつもりでも、
隣にいる人の一言で晩飯まで変わる。

私の前には、
いつでも交差点がある。

そこに立つ人の話を聞きながら、
私はその人の目を、
一度、自分の中に落とし込んでみる。

会話の中から、
幼い頃の記憶を拾う。

どんな家で育ったのか。
誰と出会ってきたのか。
何を信じ、
何を選んできたのか。

そうして少し時間を遡っていくと、
今のその人が、
少しずつ見えてくる。

だから、
病気は病気だけを見ていても分からない。

病人としてだけ見ても、
その人のことは分からない。

人は突然、
今の自分になったわけではない。

出会い、
別れ、
選んだこと、
選ばなかったこと。

そうした無数の交差点を通って、
今ここにいる。

「私はこういう人間だ」

そう言うその「私」さえ、
これまでの縁の中で
形づくられてきたものなのかもしれない。

そう考えると、
目の前にいる人を見るということは、

今だけを見ることではなく、

その人が、
どんな道を通って
ここまで来たのかを見ることなのだと思う。

過去の記録と、いまの思考。

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