― 自分という器を手入れするということ ―
人は、時間とともに老いていく。
「アンチエイジング」という言葉をよく耳にするけれど、時間そのものを巻き戻すことはできない。
若返ることはない。
けれど、同じ年齢でも、身体のあり方にはずいぶん違いがある。
それはなぜなのだろう。
花を見ていると、人間の身体と少し似ていると思う。
花は枝から切り離された瞬間から、少しずつ傷み始める。
時間を止めることはできない。
それでも、すぐに枯れてしまう花もあれば、長く美しく咲いている花もある。
水を替える。
茎を切り戻す。
傷んだ葉を取り除く。
置く場所を変える。
特別なことではない。
毎日その花を見て、小さな変化に気づき、必要な手入れをしているだけである。
人間も同じなのではないだろうか。
大切なのは、老化しないことではない。
自分の変化に気づけることだ。
以前より眠りが浅くなった。
疲れが抜けにくくなった。
身体が硬くなった。
食べたあとの感覚が変わった。
些細なことで心が乱れるようになった。
身体は、ある日突然すべてが変わるわけではない。
その前から、小さな変化を見せていることがある。
けれど私たちは、大きな問題になるまで、それを見ようとしないことがある。
そして、病気になってから初めて、自分の身体について考え始める。
日本には、身体を壊したときに助けてもらえる仕組みがある。
体調を崩せば病院へ行く。
検査を受ける。
必要なら薬を使う。
それは、とても大切なことである。
医療でなければ発見できない病気があり、医療によって救われる命がある。
私自身、鍼灸師として人の身体に触れてきたからこそ、医療が必要な状態なら、きちんと医療機関で診てもらうべきだと思っている。
ただ、どれだけ医療や健康サービスが整っていても、
「自分の身体と、どう付き合って生きるのか」
という問いまで、誰かが代わりに考えてくれるわけではない。
身体の調子が悪くなると、私たちは何かを「足す」ことを考える。
薬を飲む。
サプリメントを摂る。
身体を鍛える。
もっと運動する。
もっと強い刺激を受ける。
鍼灸やマッサージでも、
強く揉まれた。
深く刺された。
たくさん鍼を打たれた。
そうすると、
「これだけされたのだから効くだろう」
と思いやすい。
強い刺激には、分かりやすさがある。
けれど、人間の身体は、強く刺激すればするほど良くなる機械ではない。
必要なのは、強い刺激ではなく、
その人にとって必要な刺激である。
弱い刺激で十分なら、弱くていい。
歩くことで足りるなら、歩けばいい。
眠ることで戻るなら、眠ればいい。
休むことが必要なら、何かを足すのではなく休めばいい。
鍼が一本で足りるのなら、一本でいい。
身体には、外から無理に変えようとするより、自ら変化できる余白を与えた方がいいときがある。
そして同じ刺激を与えても、すべての人が同じように変化するわけではない。
眠れているか。
身体を動かしているか。
必要な栄養をとれているか。
消化や排泄の状態はどうか。
慢性的な緊張を抱えていないか。
きちんと休めているか。
身体は、その人の毎日の中にある。
植物なら、肥料を与える前に土を見る。
水は足りているか。
根は傷んでいないか。
日当たりはどうか。
風通しはどうか。
人の身体も、少し似ているのだと思う。
健康になるために、何を足すのか。
そればかりを考えるのではなく、
まず、
今の自分は、どうなっているのか。
そこを見る。
自分という器を手入れすることは、そこから始まるのだと思う。
そして、自分の身体を見ようとすると、やがて別の問いが生まれてくる。
「何をすればいいのか」ではなく、
「なぜ、自分はこうなっているのだろう」
という問いである。

