答えを探すほど、自分が分からなくなる

― 健康について「問い」を持つということ ―

健康について、多くの人は答えを求める。

何を食べればいいですか。

何を飲めばいいですか。

どんな運動をすればいいですか。

どこへ行けば治りますか。

答えは便利である。

自分で考えなくて済むからだ。

そして、ある人はそこから知識を求めるようになる。

身体について学ぶ。

栄養について学ぶ。

睡眠について学ぶ。

運動について学ぶ。

知識を持つことは大切だと思う。

けれど私は、その先があると思っている。

それは、

問いを持つこと。

なぜ、私は疲れているのだろう。

なぜ、眠れないのだろう。

なぜ、身体に力が入っているのだろう。

なぜ、休めないのだろう。

なぜ、この生活を続けているのだろう。

答えを求める人は、誰かに答えてもらえる。

知識を求める人は、自分で答えを探せる。

けれど、

問いを持つ人は、自分自身を見るようになる。

今は、情報が多い。

朝起きればスマートフォンを見る。

ニュースを見る。

SNSを見る。

誰かの意見を読む。

誰かの生活を見る。

そして、ときには自分とは直接関係のない怒りや不安まで受け取っている。

健康についても同じだ。

これを食べた方がいい。

これは食べない方がいい。

この運動がいい。

この健康法がいい。

知ろうとすればするほど、答えは増えていく。

けれど、答えが増えるほど、自分の身体が分からなくなることもある。

だから、ときには一人になる時間が必要なのだと思う。

スマートフォンを置く。

誰かの意見から離れる。

何も答えを探さない。

静かに座る。

歩く。

呼吸する。

ぼんやりする。

瞑想と呼んでもいいし、呼ばなくてもいい。

大切なのは方法ではない。

外から入ってくるものを一度止め、自分の内側を観察する時間を持つこと。

何かを足すことで健康になるのではなく、減らすことで戻ってくるものもある。

情報を減らす。

刺激を減らす。

予定を減らす。

そうして静かな時間の中で、自分を知る。

ただ、自分だけですべてを理解しようとしなくてもいい。

必要なら、専門家の力を借りればいい。

事業をしていれば税理士に相談する。

法律なら弁護士の知識を借りる。

身体についても同じだと思う。

医師。

管理栄養士。

トレーナー。

鍼灸師。

それぞれが、それぞれの専門領域から人を見る。

ただし、

専門家に自分を明け渡してはいけない。

専門家は、自分の人生の答えではない。

自分で考えるために、その人の専門性を借りる。

主役は、あくまで自分である。

私は鍼灸やマッサージも、単に「悪くなったものを治してもらう」ためだけのものではないと思っている。

信頼できる人に身体を預ける。

触れてもらう。

自分では気づかなかった緊張に気づく。

呼吸がゆっくりになる。

身体の力が抜けていく。

そして、ときどき自分の状態を確かめる。

それは、

自分という器を定期的に手入れすること

に近い。

治療そのものが健康をつくるわけではない。

整ったあと、どのような日常へ戻るのか。

結局、身体をつくっていくのは、その人の毎日である。

そして自分を見るようになると、少しずつ分かってくる。

何時間眠るべきなのか、ではなく、

自分はどれくらい眠ると調子がいいのか。

どんな運動が正しいのか、ではなく、

自分はどれくらい動くと心地よいのか。

何を食べるべきなのか、ではなく、

何を食べたとき、自分の身体は穏やかなのか。

正解ではなく、自分を知る。

けれど、自分が分かったからといって、身体はすぐには変わらない。

そこでもうひとつ必要になるものがある。

私はそれを、

待つ強さ

なのだと思っている。

過去の記録と、いまの思考。

それぞれ別の場所に残しています。

note(記録)
Threads(思考)
Instagram

活動はFacebookに。

必要な時にのぞいてみてください。

目次