無性に欲するということ ― 選択の手前にあるもの

今日は、
「なぜ無性に食べたくなるのか」という話。


食事については、
何を食べるか、何が良いか。

そういった話は多い。


けれど、

なぜそれを選んでしまうのか。


その手前の部分は、
あまり語られない。


無性に何かを欲する。

甘いもの。
しょっぱいもの。
コーヒーや、ジャンクフード。


それは、意志が弱いからではない。


身体の状態の中で、
その選択が自然に起きている。


よく言われる対応としては、

甘いものは疲労。
辛いものはストレス。
しょっぱいものはミネラル。
酸味は胃の負担。

氷やコーヒーは鉄。
ジャンクフードはカリウム。


こうした見方もある。


ただ、ここでも同じように、

ひとつに当てはめる必要はない。


それぞれを、
“点”として置いておく。


その上で、

自分の状態と重ねてみる。


たとえば、

睡眠が浅い日が続いているのか。
ストレスが抜けないのか。
食事のリズムが崩れているのか。


そうした流れの中で、
その欲求が出てきている可能性もある。


ここで、少し具体的に。


コーヒーを欲する感覚。


飲むと、少し楽になる。
頭がはっきりする。
気持ちが切り替わる。


それ自体は、悪いものではない。


ただ、

なぜそれが必要になっているのか。


疲れているのか。
休めていないのか。
常に緊張が続いているのか。


カフェインは、
一時的に覚醒をつくる。


けれど、

状態を引き上げているだけで、整えているわけではない。


しばらくすると、また落ちる。

そしてまた、求める。


それが続くと、
選択というより、流れになる。


ここでもやはり、

欲求そのものを否定する必要はない。


むしろ、

その欲求がどこから来ているのかを見る。


そのほうが重要になる。


身体は、
常に何かを調整しようとしている。


足りないものを補おうとしたり、
過剰な状態を緩めようとしたり。


その一つの現れとして、
「無性に欲する」という反応がある。


だから、

抑え込むのではなく、
少し立ち止まる。


なぜ今、それを欲しているのか。


その問いが、
選択を少し変えていく。


まとめると、

欲求は、問題ではない。


身体の状態と、
神経の流れの中で生まれるもの。


それをどう扱うか。


そこに、
余白がある。


すぐに変えなくてもいい。


ただ、知っておく。


その積み重ねが、
結果として身体を整えていく。

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