第一話で、私の人生の中に点のように散らばっていた出来事を書いた。
幼い頃の記憶。
恩師の言葉。
高野山との不思議なご縁。
当時は、そのどれにも意味を見いだしてはいなかった。
最近、稲葉俊郎さんの『肯定からあなたの物語は始まる』を読んでいた。
その中に「よみがえり」という章がある。
熊野の宮司さんへ、「よみがえりは本当に起こるのですか」と尋ねる場面だ。
宮司さんはこう答える。
「よみがえりは起きます。ただ、すべての人に起こるわけではありません。未来を見ている人だけに、よみがえりが起きます。」
この言葉を読んだとき、不思議と涙が出た。
それまで別々だった出来事が、一つにつながったような気がしたからだ。
私は十九歳の頃、四国八十八ヶ所を歩いた。
特別な理由はない。
ただ、歩いてみたいと思った。
その後、恩師に誘われ、ダライ・ラマ法王の講演を聴く機会もあった。
それも、自分から望んだわけではない。
誘われるまま、その場所へ足を運んだ。
振り返れば、人生には理由を説明できない選択がいくつもある。
そのときは意味が分からない。
けれど、時間が経ってから、「あの出来事はここにつながっていたのか」と思うことがある。
私は鍼灸師になった。
それも自分で選んだようでいて、選ばれてきたような感覚がある。
恩師と出会い、鍼灸だけではなく、密教や哲学、思想、人をどう理解するのかということまで教えていただいた。
あの頃は、その意味を理解していなかった。
ただ、目の前のことを学ぶことに必死だった。
今になって思う。
人生は、過去を見ているだけでは意味は分からない。
未来へ歩き始めたとき、初めて過去の出来事がつながってくる。
だから、よみがえりとは、新しい自分になることではないのかもしれない。
忘れていた自分を思い出すこと。
点だった人生が、一本の線になること。
私はそんなふうに受け止めている。
もちろん、それが正しいとは思わない。
偶然なのかもしれない。
私が後から意味を見いだしているだけなのかもしれない。
それでも構わない。
大切なのは、過去に縛られることではなく、未来へ歩き続けることなのだと思う。
未来へ向かって歩いている限り、人は何度でもよみがえる。
今の私は、そう信じている。

