第二話 よみがえり

第一話で、私の人生の中に点のように散らばっていた出来事を書いた。

幼い頃の記憶。

恩師の言葉。

高野山との不思議なご縁。

当時は、そのどれにも意味を見いだしてはいなかった。

最近、稲葉俊郎さんの『肯定からあなたの物語は始まる』を読んでいた。

その中に「よみがえり」という章がある。

熊野の宮司さんへ、「よみがえりは本当に起こるのですか」と尋ねる場面だ。

宮司さんはこう答える。

「よみがえりは起きます。ただ、すべての人に起こるわけではありません。未来を見ている人だけに、よみがえりが起きます。」

この言葉を読んだとき、不思議と涙が出た。

それまで別々だった出来事が、一つにつながったような気がしたからだ。

私は十九歳の頃、四国八十八ヶ所を歩いた。

特別な理由はない。

ただ、歩いてみたいと思った。

その後、恩師に誘われ、ダライ・ラマ法王の講演を聴く機会もあった。

それも、自分から望んだわけではない。

誘われるまま、その場所へ足を運んだ。

振り返れば、人生には理由を説明できない選択がいくつもある。

そのときは意味が分からない。

けれど、時間が経ってから、「あの出来事はここにつながっていたのか」と思うことがある。

私は鍼灸師になった。

それも自分で選んだようでいて、選ばれてきたような感覚がある。

恩師と出会い、鍼灸だけではなく、密教や哲学、思想、人をどう理解するのかということまで教えていただいた。

あの頃は、その意味を理解していなかった。

ただ、目の前のことを学ぶことに必死だった。

今になって思う。

人生は、過去を見ているだけでは意味は分からない。

未来へ歩き始めたとき、初めて過去の出来事がつながってくる。

だから、よみがえりとは、新しい自分になることではないのかもしれない。

忘れていた自分を思い出すこと。

点だった人生が、一本の線になること。

私はそんなふうに受け止めている。

もちろん、それが正しいとは思わない。

偶然なのかもしれない。

私が後から意味を見いだしているだけなのかもしれない。

それでも構わない。

大切なのは、過去に縛られることではなく、未来へ歩き続けることなのだと思う。

未来へ向かって歩いている限り、人は何度でもよみがえる。

今の私は、そう信じている。

過去の記録と、いまの思考。

それぞれ別の場所に残しています。

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