これから三回に分けて、一つの物語を書こうと思う。
私自身の人生の話である。
当時は何の意味もないと思っていた出来事が、今になって少しずつつながり始めている。
その答えを語りたいわけではない。
ただ、人生には、後になって意味を持つ出来事がある。
そんな話を書いてみようと思う。
七歳くらいの頃だった。
父と双子の兄は旅行へ出かけ、家には母と私だけが残っていた。
母は奥の居間で眠り、私は仏間に布団を敷いて寝ていた。
祖母が亡くなって数か月。
夏の終わりだったのだろう。
夜中にふと目が覚めると、私の斜め上に一体の仏様が浮かんでいた。
その周りには七体ほどの小さな仏様。
淡い緑色の光をまといながら、ゆっくりと時計回りに巡っている。
幼い頃から仏壇で手を合わせることは当たり前だった。
だから怖くはなかった。
けれど、それが当たり前の光景ではないことくらいは分かっていた。
しばらく見つめていたが、少し怖くなり、私は目を閉じた。
翌朝、母にその話をすると、「夢を見たんだね」と笑った。
それ以来、この出来事を誰かに話すことはなかった。
夢だったのだろう。
そう思いながら、心の奥へしまっていた。
大人になり、恩師と食事をしていたある日、不意にこう言われた。
「高野山で修行をしてきなさい。」
私は冗談だと思った。
恩師は時々、こちらには理解できないことを、ごく自然に口にする人だったからだ。
だから、その言葉も深く考えることはなかった。
それから何年も過ぎた。
昨年、同業の先生に誘われて異業種交流会へ参加した。
たまたま目の前に座ったのは、一人のお坊さんだった。
話を聞くと、普段は高野山で修行やお勤めをされ、月に数日だけ巣鴨のお寺へ来られているという。
私は恩師から言われたことを話した。
そして、生まれて初めて、幼い頃の出来事も話した。
お坊さんは静かに聞き終えると、穏やかにこう言った。
「高野山へ修行に来られる方には、そのようなお話をされる方が少なくありません。」
さらに、受付でもらった名札を指差した。
「緑のシールに、緑のペンで名前を書いていますよね。」
「それは偶然ではないんですよ。」
その瞬間、幼い頃に見た、あの緑色の光を思い出した。
それからしばらくして、患者さんの紹介で一人の整体師さんを訪ねた。
五十代くらいの女性だった。
自分に特別な能力があるとは一度も言わない。
ただ静かに身体へ触れ、全体を調律するように施術をされる。
施術の終わり、その先生がふと私に尋ねた。
「那須さん、空海と何か関係がありますか。」
私は言葉を失った。
高野山という言葉が、また私の前に現れたからだ。
私が空海と関係があるのかは分からない。
スピリチュアルに興味があるわけでもない。
霊的なことを追い求めてきたわけでもない。
宗教を学ぼうと思ったこともない。
ただ、不思議と高野山という場所だけは、人生の節目ごとに現れる。
偶然なのかもしれない。
私が意味を見いだそうとしているだけなのかもしれない。
だから断定はしない。
けれど、一つだけ素直に思うことがある。
やはり、私は高野山に呼ばれているような気がする。
その感覚が何なのかは分からない。
思い込みなのかもしれない。
それでも、一度は自分の足でその場所へ行ってみたい。
答えを探すためではない。
何か特別なものを得るためでもない。
ただ、その場所に立ってみたいのだ。
もしかしたら、そのとき初めて、これまで点だった出来事が一本の線になるのかもしれない。

