大切な人が亡くなりました。
心に、ぽっかりと穴が空いたような感覚があり、
いまもそのことと向き合っています。
どうして、このことを書くのか。
それは、
時間には限りがあるということを、
どこかで思い出してほしいからです。
どれだけ名の知られた鍼灸師でも。
多くのものを手にしている経営者でも。
長く選ばれ続けている政治家でも。
誰もが知る人も、
そうでない人も。
例外はありません。
命が、二つある人はいない。
終わりは、必ず訪れます。
それが突然なのか、
ゆっくりと近づいてくるのか。
その違いがあるだけです。
「まだ生きていたかった」という想い。
「生きていてほしかった」という想い。
どちらも、残ります。
けれど、
「もしも」を考え続けることよりも、
いま、ここにある時間に触れていくこと。
私たちにできるのは、
それだけなのかもしれません。
長く生きるための確かな方法は、ありません。
時間を止めることも、
延ばし続けることもできない。
ただ、
どう生きるかは、選ぶことができる。
病気になったとき、
触れたい人に触れられないことがあります。
思うように会えなくなることもある。
そうなってはじめて、
当たり前だったことの重さに気づく。
健康は、尊いものです。
けれどそれは、
どこかから与えられるものではありません。
日々の中で、少しずつ形づくられていくもの。
限りがあるからこそ、
いま、誰といるのか。
いま、何に触れているのか。
その一つひとつが、
静かに意味を持ちはじめる。
失ったあとにしか分からないこともある。
それでも、
いま触れられるものに、
もう少しだけ意識を向けてみる。
それが、
残された側にできることのひとつなのだと思います。

