好きな作家に、稲葉俊郎さんがいる。
医師でありながら、身体だけではなく、人の生き方や自然、文化までも一つの生命として見つめている方だ。
去年出版された『肯定からあなたの物語は始まる』の冒頭に、「よみがえる力」という章がある。
そこに書かれていた言葉を読んだとき、不思議なくらい涙があふれてきた。
理由はうまく説明できない。
ただ、その言葉が、自分の奥深くに静かに届いたのだと思う。
熊野は、古くから「よみがえりの地」と呼ばれているそうだ。
本の中で、稲葉さんは宮司さんに尋ねる。
「よみがえりは、本当に起こるのですか?」
すると宮司さんは、こう答える。
「よみがえりは起きます。ただ、すべての人に起こるわけではありません。未来を見ている人にだけ、よみがえりが起きます。」
これは稲葉さんが本の中で紹介されている言葉であり、私の言葉ではない。
けれど、この一節が、ずっと心に残っている。
未来を見ている人だけに、よみがえりは起きる。
これまで鍼灸を仕事にしてきて、本当にさまざまな人に会ってきた。
一人ひとりに、それぞれの物語がある。
病気のこと、家族のこと、仕事のこと。
誰にも言えない苦しみを抱えながら生きている人も少なくない。
そして、その物語から抜け出せずにいる人もいる。
けれど、そこから抜け出す必要があるのかどうかは、他人が決めることではない。
その人の内側にある何かが決めることなのだと思う。
誰かに「変わりなさい」と言われて変わるものではない。
誰かに励まされても、本当の意味で歩き始められるわけではない。
未来を見ようと思えたとき。
その瞬間に、人は自らの物語を書き換え始める。
だから私は、あの言葉を読んだとき、これまで臨床の中で感じ続けてきたことは間違っていなかったのだと思えた。
未来を見ることができれば、人はよみがえることができる。
そして本は、「願いのかなえ方」という章へと続いていく。
そこには、こんな言葉が記されている。
否定が否定を産み 穴に落ちる
肯定は 始まりの合図
すべては おさまっている
稲葉さんは熊野を旅したあと、諏訪大社を訪れ、その後、万治の石仏へ向かったという。
万治の石仏には、古くから伝わる参拝の作法があるそうだ。
正面で一礼し、手を合わせながら「よろずおさまりますように」と心で念じる。
願いを胸に抱きながら石仏の周りを時計回りに三周する。
そして最後に正面へ戻り、「よろずおさめました」と唱え、一礼する。
私は、この最後の言葉に深く心を動かされた。
「おさまりますように」と願えば、それは未来への願いになる。
けれど、「おさめました」と唱えた瞬間、その願いは完了形になる。
現実はまだ何も変わっていない。
それでも、自分の心は「すでにおさまった世界」に立つ。
願いを心に宿し、静かに歩いているだけで、もう心はおさまっているのだ。
心におさまった時点で、よろず完了している。
願いは、その瞬間から何らかの形で叶い始めている。
現実は、もう静かに動き出している。
熊野では、「未来を見ている人にだけ、よみがえりは起きる」と学び、
諏訪では、「すべては、すでにおさまっている」と学ぶ。
過去は終わっている。
私たちの前にあるのは、肯定すべき「今」だけなのだ。
あなたは生きている。
生きているという事実そのものが、すでに肯定である。
否定は自然の中にはない。
否定は、人間だけがつくり出したものなのかもしれない。
だから人生を丸ごと「YES」と言ってみる。
過去を手放し、未来を見る。
そのとき、人は初めて「今」という地平に立ち、本当の意味でよみがえる。
「肯定からあなたの物語は始まる。」
深夜、この一節を読み終えた私は、静かに涙を流していた。
理由は分からない。
ただ、一つだけ確かに思えたことがある。
私の過去は、もうおさまっている。
そして、私には未来がある。
そのことを、ようやく心から受け入れることができた夜だった。

