新しいものに対して、嫌悪感を抱くことがある。
特に、自分が長く関わってきたものほど、そうなのかもしれない。
鍼灸を続けてきた中で、鍼という文化が変化していくことに、どこか許せない気持ちがあった。
美容、リラクゼーション、SNS、短時間の施術、新しい見せ方。
時代に合わせて形が変わっていくことを、鍼そのものが軽く扱われているように感じることがあった。
古くから積み重ねられてきたものを大切にしたい。
そう思えば思うほど、新しいものは、その対極にあるように見えた。
けれど、歌舞伎役者の市川染五郎さんの言葉を読んで、少し考え方が変わった。
歌舞伎は、四百年前から同じ形を守り続けてきたものではないという。
その時代の文化や価値観を取り込みながら、形を変え、生き残ってきた。
白塗りひとつを取っても、そこには理由がある。
明るい照明のなかった時代に、役者の表情を観客へ届けるために生まれたものだという。
だとすれば、大切なのは白く塗ることそのものではないのかもしれない。
なぜ、その形が生まれたのか。
何を伝えるために、その方法が必要だったのか。
残されてきた「形」の奥には、それが生まれた理由がある。
これは、鍼にも同じことが言えるのではないかと思った。
経穴を使うこと。
脈を診ること。
腹を診ること。
一本の鍼を置くこと。
それらも、ただ型として残されてきたわけではない。
なぜ、そこを見るのか。
なぜ、そこへ触れるのか。
なぜ、その方法が生まれたのか。
その背景には、人間の身体をどう捉えるのかという、長い時間の中で育まれてきた考えがある。
そう考えると、伝統を継承するということは、昔と同じことを繰り返すことではないのかもしれない。
形を守ることと、本質を守ることは、必ずしも同じではない。
なぜその形になったのかを知り、その奥にあるものを受け取る。
そして、残すべきものを残しながら、自分たちの時代に必要な形へ変えていく。
それもまた、継承なのだと思う。
そう考えたとき、新しい文化は伝統の敵ではなくなった。
むしろ、新しいものが現れたからこそ、自分が何を大切にしていたのかが見えてきた。
私が新しい鍼灸の在り方に嫌悪感を持っていたのも、鍼を大切にしたかったからなのだろう。
鍼を雑に扱ってほしくなかった。
長い時間をかけて積み重ねられてきたものを、表面的な流行だけで消費してほしくなかった。
けれど、それならば、拒絶する前に自分自身がもっと知らなければならない。
何を守るのか。
何なら変えていいのか。
何が失われたときに、鍼は鍼ではなくなるのか。
それを判断するためには、形だけではなく、その形が生まれるまでの歴史や思想を知る必要がある。
今回もう一つ印象に残ったのは、まだ若い役者が、これほど長い時間軸から自分の文化を見ていたことだった。
そこで、年齢とは何だろうと思った。
二十年しか生きていなくても、四百年の歴史を学び、その上に自分が立っていることを知っていれば、四百年という時間の先から現在を見ることができる。
反対に、長く生きていても、自分の経験だけを基準に世界を見ていれば、その時間軸は自分の人生の長さを越えない。
だからこそ、教育は大切なのだと思う。
歴史を知る。
型を学ぶ。
なぜ、それが残されてきたのかを考える。
先人が積み重ねてきたものの上に、自分がいることを知る。
伝統を学ぶということは、古いものに縛られることではない。
むしろ、自分だけの価値観から自由になることなのかもしれない。
自分が今立っている場所を知るために、過去を見る。
そして、その先に何を渡していくのかを考える。
私も、鍼という文化を大切にしたい。
ただ、「大切にする」ということの意味は、以前とは少し変わった。
守ることだけではない。
継ぐこと。
そして継ぐためには、ときに変わることも必要なのだと思う。
新しいものを見たとき、好きか嫌いかだけで判断するのではなく、
そこに何が残っているのか。
何が失われているのか。
なぜ、その形になったのか。
そうやって見ていきたい。
対極にあると思っていたものが、実は対極ではなかった。
それが現れたことで、自分が何を守りたかったのかが見えただけなのかもしれない。
違和感は、ときに、自分が大切にしているものを教えてくれる。
それもまた、学ぶということなのだと思う。

