深夜、ワールドカップ日本代表の試合を観ていました。
結果は敗戦でした。
試合終了のホイッスルが鳴ると、選手たちは互いに歩み寄ります。
肩を抱き、背中をさすり、頭を撫でる。
その姿を見ていて、私は犬や猫がお互いの身体を舐め合う姿を思い出しました。
傷ついた仲間を気遣う。
安心させる。
そこに多くの言葉はありません。
それでも、温度は伝わります。
励まそうとしているわけでもない。
何かを教えようとしているわけでもない。
ただ、その場にいて、触れる。
その行為は、生き物が本来持っている本能なのだと思いました。
私は、その姿に医療の原点を見た気がしました。
鍼灸を仕事に選んでから、私は「治す」ということを大切にしてきました。
痛みを取りたい。
病気を改善したい。
その思いに嘘はありません。
けれど、臨床を重ねるほど、どこか本能的な違和感がありました。
本当に医療とは、治すことだけなのだろうか。
そう考え続けてきた結果、一つの答えにたどり着きました。
医療とは、「場所」になることなのではないか。
闇雲に励ますことではありません。
無理に前を向かせることでもありません。
まず、その人に自然と合わさること。
呼吸を合わせるように。
音が響き合うように。
共鳴すること。
私は、答えを持っていません。
答えは、いつもその人自身の中にあります。
医療者の役割は、その答えを与えることではなく、その人が自分の答えにたどり着くまで支えることなのだと思っています。
安心して立ち止まれる場所になること。
安心して涙を流せる場所になること。
安心して、もう一度歩き出せる場所になること。
これだけAIが発達し、多くのことを代わりに行える時代になりました。
知識も、分析も、これからさらに進化していくでしょう。
けれど、肌で感じる距離。
手から伝わる温度。
そこに誰かがいてくれるという安心感。
それは、生き物だけが持っている力なのだと思います。
私は、鍼灸師として生きています。
けれど、目指しているのは鍼灸の形ではありません。
人が本来持っている力を信じ、その人が自分自身に還っていけるよう支えること。
そんな医療でありたい。
そして、そんな場所でありたいと思っています。

