「鍼灸院は祈りの場所になれるか」

今日は作家・山口周さんのお話を紹介します。

「弱音を思いっきり吐ける場所っていうのが大人にもいるよなあと考えていた時、西欧にはそれがちゃんとあるんですよね。どこかっていうと教会です。」

教会は祈る場所です。
祈りの中には、言葉にしない「弱音」も含まれている。

この言葉を聞いたとき、私は鍼灸院の役割について考えました。


鍼灸院は「治療する場所」だと思われています。
もちろんそれは間違いではありません。

しかし私は、それだけではないと思っています。

昨今のサウナブームもそうですが、「整える」ことが目的のようでいて、実は水風呂そのものが目的になっている人もいます。

本来、病気になってから何かを受けるのではなく、
その前に休めばいい。

私はそう思うのです。


健康診断を頻繁に受ける方がいます。
それは本当に「健康のため」でしょうか。

もしかすると、病気を見つけることが目的になっていないでしょうか。

病気にならないためには、
病気にならない“心の在り方”があります。

苦しむことを美徳とする社会の中で、
私たちはどこで弱音を吐けばいいのでしょうか。


鍼灸院は教会ではありません。
けれど、心身を休める場所であっていいと思うのです。

社会的に影響力があっても、
有名であっても、
見られる目が多くても、

心臓は一つです。

自然に抗うことはできません。

だからこそ、
立ち止まり、休息を取る。

それは甘えではなく、
命を大切にする行為です。


人生を豊かにするとは、
自分と向き合いながら生きることではないでしょうか。

鍼灸院が、そのための小さな「余白」になれたら。

私はそう願っています。

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