静かに触れるということ

以前、歯科医の先生にこう聞かれました。

「鍼灸って、流派があるんですか?」

私は、少し考えてから、逆に尋ねました。

「歯科医にも、流派はあるんですか?」

すると先生は、静かに教えてくれました。

学閥だけではなく、
歯列矯正ひとつをとっても、考え方はさまざまだと。

ゴールは、同じ。

けれど、どこから手を入れるかが違う。

登山口は違っても、
山頂は、同じ場所にある。

鍼灸もまた、同じなのだと思います。

私が大切にしている、三つの思考。
いま行っている鍼灸は、
大きく三つの柱で成り立っています。

一つ目は、
現代医学の論理的思考(Science)。

教員課程で学んだ視点から、
身体の中で何が起きているのかを、丁寧に捉える。

解剖学的に。
生理学的に。

説明できることを、外さない。

これは、土台です。

二つ目は、
伝統医学の経験的思考(Craft)。

家元から受け継いだ、道教医学の視点。

理屈だけでは触れられない、
積み重ねられてきた時間の感覚。

脈。
腹。
気の流れ。

言葉になる前の変化を、感じ取る。

これは、教科書の外で育つものです。

三つ目は、
鍼灸師としての感性的思考(Art)。

故・日野原重明先生は、こう言われました。

「アートとしての医学を理解しなければ、
広い意味での内科学を理解することはできない」

「科学を患者にどう適用するかという“タッチ”の技であり、
コミュニケーションが大切」

ここでいう“アート”とは、
美しさの感覚です。

どう触れるか。
どう届けるか。

同じ鍼でも、
触れ方ひとつで、伝わり方は変わります。

私は、この「Art」をどう身につけたのか、
はっきりとは覚えていません。

ただ一つ、思い当たることがあります。

幼い頃から、少し繊細だったということ。

人の表情や、場の空気に敏感で、
それが負担になることもありました。

誤解されること。
理解されないこと。

そのたびに、
「合わせなければ」と思ってきました。

自分を抑えながら、
それでも、何かを感じ続けていた。

家元の治療を学びながら、
「日本人に合う形とは何か」を探してきたのは、
その延長にあるのかもしれません。

結局のところ、私は、
痛いことがあまり好きではありません。

人を、癒したい。

「すごい鍼灸師」になろうとして、
背伸びしてきたわけではありません。

痛くないようにと、
無理に作り込んだわけでもありません。

できないことを、
できるように見せることも、しません。

ただ、穏やかでありたい。

鍼灸師としてではなく、
一人の人間として、向き合う。

Scienceで捉え、
Craftで整え、
Artで触れる。

それが、いまの私の鍼灸です。

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