症状は間違いではなく、適応である

私たちは、症状を問題にする。

頭痛や不眠、
なんとなく続く不調。

それをどう取り除くかを考える。

けれど、
身体はそんな単純なものではないのかもしれない。


結果は、突然現れるものではない。

そこに至るまでの流れがある。

思考があり、
行動があり、
その積み重ねとしての結果がある。


「休んではいけない」
「期待に応えなければならない」

そうした思いは、
気づかないうちに身体の使い方を変えていく。

呼吸は浅くなり、
力は抜けなくなる。

その状態が続いた先に、
いまの身体がある。


だから症状は、
間違いではないのかもしれない。

その人が過ごしてきた時間の中で、
必要があって選ばれてきた反応。


治す、というよりも。

なぜその反応が続いているのかを、
静かに見ていく。


呼吸や姿勢、
わずかな緊張や揺らぎ。

言葉にならない部分に、
その人の背景がにじむ。


身体は、環境を覚えている。

急かされること、
安心できないこと、
予測できないこと。

そうした中で保たれてきた状態は、
簡単には手放されない。


人は、ときに。

そのままではいられないことを覚える。

少し無理をして、
少し自分を後ろに置いて。

それでも続いてきた日常が、
いまの身体をつくっている。


だから、
変えようとするほどに戻ることもある。

結果だけを動かそうとすれば、
また同じ流れに引き戻される。


けれど、
その流れに気づいたとき。

少しだけ見え方が変わる。


良くなった、悪くなった、ではなく。

ただ、
いま何が起きているのか。


その視点があると、
必要以上に振り回されなくなる。


身体は、壊れているわけではない。

ただ、
そうならざるを得なかっただけかもしれない。


ここでは、治療をしない。

何かを変えようとするのではなく、
すでに起きていることに触れていく。


呼吸が少し変わること。
力が、ふと抜けること。

その小さな変化が、
次の流れをつくっていく。


身体は、日常の中でつくられている。

だからきっと、
日常の中でしか変わらない。

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