人は柔らかく生まれて硬くなって死んでいく

「人は柔らかく生まれて、硬くなって死んでいく」

老子の言葉である。

私は時折、タイマッサージを受けに行く。

ゆっくりと身体を押され、圧が加えられ、縮こまっていた筋肉がほどけていく感覚が好きだ。

タイマッサージは仏教と深い関わりを持つという。身体に丁寧に触れ、相手の呼吸に合わせながら施術を行う姿には、どこか慈悲の思想が感じられる。

一方で、私にとって鍼灸は少し違う印象がある。

鍼灸は、流れを止めない医療である。

身体にはもともと流れがある。呼吸があり、血液が巡り、気が動き、私たちの心もまた絶えず変化している。

生命とは、本来、流動的な存在なのだと思う。

だからこそ、停滞は死を意味する。

それは必ずしも肉体の死だけではない。

考え方が固定され、新しいものを受け入れられなくなった時。自分の正しさに固執し、変化することをやめた時。人は少しずつ硬くなっていく。

臨床をしていると、身体のこわばりと心の硬さは決して無関係ではないと感じる。

もちろん単純な話ではない。しかし、長い間緊張を抱え続けている人、責任を背負い込み続けている人、自分を縛り続けている人の身体には、独特の硬さが現れることがある。

心が身体に現れ、身体が心に影響を与える。

東洋医学が古くから心身をひとつのものとして捉えてきた理由も、そこにあるのだろう。

だから私は、心が落ち着かない時には足を動かす。

歩く。

歩いているうちに呼吸が変わり、景色が変わり、固まっていた思考が少しずつほどけていく。

頭の中だけでは見つからなかった答えに、ふと気づくこともある。

反対に、身体が疲弊している時には椅子に腰かけて休む。

休むことは停滞ではない。

休息もまた、生命の流れの一部だからである。

そう考えると、病気になってから慌てて身体を動かすのでは遅いのかもしれない。

病気でない時にも身体を動かす。

流れを止めないために。

太極拳もそういった意味を持っているのだろう。呼吸とともに全身をゆっくり動かし、身体と心の流れを整える。

日本人にとっては、ラジオ体操が最も身近な養生法かもしれない。

毎朝、全身をまんべんなく動かす。

たった数分でも、身体は目を覚まし、心もまた動き始める。

子どもたちを見ていると、その柔らかさに驚かされる。

動物たちもまた、環境に応じながらしなやかに生きている。

しかし人は、年齢とともに身体だけでなく、考え方や生き方までも硬くしてしまう。

老子は言った。

「人は柔らかく生まれて、硬くなって死んでいく」

この言葉を、時々思い出してほしい。

私たちは生きている限り、流れ続ける存在なのだから。

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