僕は一寸

先日、ボーっとTheadsを眺めていたら私の施術についての投稿が1つ。

「え?何かしたかな?」

投稿を読んでいると「〇〇にある鍼灸院の〇〇ここの医院長先生はめちゃくちゃ腕が良い。自律神経や眼精疲労や偏頭痛や欝などにオススメ西洋医学で治らなければまずは鍼灸!!この先生に出会って無かったら今まで生きて来れなかったかもしれない。今日は眼精疲労を治すために行ったけどピンポイントでここが目ですって針を刺した所がまさに首の凝り固まって違和感が出る場所だった」と書いてあります。

これが嬉しいか、嬉しくないかといったら、施術者と患者とではこうも感じ方が違うのかと知る機会になりました。私の価値観として腕の良し悪しはCさんの主観なので気になりません。客観的な指標があると仮定して、痛みがない、丁寧である、効果的である、的確である、無駄がない、患者との間合い(距離感)を意識して施術はおこないます。

これらが常に一定であり、意図せずに起きた微差は必ず主観の部分で何らかの意味を与えてしまうと思うのです。そのことは真摯に向き合いますが私は東洋医学至上主義ではありません。鍼灸や漢方はとても良いものだと思いますが、選ぶのは患者自身であるため、日ごろから何か言うことはないのです。

当初、Cさんが来院したきっかけは自律神経の不調による膨満感でした。それを2~3カ月に1度の頻度で鍼灸をおこなっていましたが、きっとCさんにとって安心できる場所だったのでしょう。

私は、居場所というものは複数もっておくべきであると考えており、ファーストプレイス(自宅)、セカンドプレイス(職場や学校)以外のサードプレイスとして鍼灸院は有益なものであると考えています。

Cさんにとってなぜ有益なものになったのかというと、サードプレイスのメリットである、ストレスや不安の軽減、疎外感や孤独感を忘れる、新しい価値観や人との繋がりが生まれるということかもしれません。

また、私は否定せずに中立に平等に接します。特別なことをしなかったことが良かったのだと思います。当日は眼精疲労のことを言っていましたが、乱視によりコンタクトレンズを買い替えたという話や仕事のストレスについて考察しました。

しかし、過去に聞いた話などを含めても本人のストレスの耐性というものは普段から頭の片隅に置いています。凝り固まっているところは触れば分かりますし、鍼の深度は針先に注意を向ければ良いだけです。

なぜこのような投稿をしたかと言うと、このくらいのことでも患者さんの意識は特別なものになってしまいます。私の仕事のスタンスは細野晴臣さんの『僕は一寸』のように言葉少なに余白を生むこと。

「ここが目です」。というと言葉少なに聞こえませんが、これはあなたの目のツラいという気持ちに対して施術をおこおいますという意識づけで伝えていたのに、このように聞こえていたとなると説明の仕方を変えようと思いました。

私の施術もコミュニケーションもいまだに未完成です。日々こうして頭の中は騒がしくしていますが、施術は静かに穏やかにあることを大切にしています。

本当にそれだけのような気がしています。

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