先日、NHKの「ためしてガッテン」で、
「はり治療スペシャル」が放送されていました。
ご覧になった方も、いるかもしれません。
番組をきっかけに、
「患部に刺す鍼が、鍼灸だと思われてしまうのではないか」
そんな声も耳にしました。
たしかに、
筋肉や骨格へのアプローチ。
経絡という流れを重視する考え方。
中医学的な診立て。
どの視点に立つかで、
鍼灸はまったく違うものになります。
けれど私にとっては、
その前にあるものの方が、
ずっと大きいのかもしれません。
ある一冊の本との出会いがあります。
法隆寺の宮大工であった
西岡常一さんの『木に学べ』。
そこには、こんな言葉が記されています。
「木を買わず、山を買え」
「木の癖で組め」
「木は、生育の方向のままに使え」
効率とは、整えることでもありますが、
同時に、削ぎ落とすことでもあります。
いまは、
規格化された木材を、
正確に組み上げていくことで、
誰でも家を建てられる時代です。
けれど、
その木がどこで育ち、
どんな風を受け、
どんな癖を持っているのか。
それを無視したとき、
見えない無理が、あとから現れてくる。
南で育った木と、北で育った木。
乾いた土地と、湿った土地。
育った環境には、意味があります。
人も、同じだと思っています。
鍼灸をするとき、
私は症状だけを見ているわけではありません。
話し方。
立ち方。
身体の使い方。
視線の向き。
言葉の選び方。
そこに現れているものを、
ひとつひとつ拾っていく。
身体の硬さにも、理由があります。
ただ強く緩めればいいわけではない。
一方を無理に動かせば、
別のどこかが、抵抗を始めることもある。
それは、身体だけではありません。
人は、否定されると、
自然と固くなります。
だから私は、
その人を否定しないようにしています。
見るのは、
「どこを変えるか」ではなく、
「その癖をどう活かすか」。
まっすぐ育たない木があります。
日当たりや風、
水や土の影響を受けて、
自然と形を変えていく。
それを「不揃い」と見るか、
「個性」と見るか。
よく観て、理解し、手を加えたとき、
その木は、思いがけない美しさを見せることがあります。
鍼灸も、似ています。
ただ刺すだけなら、
それは刺激でしかありません。
そこに、
観察があるか。
理解があるか。
背景へのまなざしがあるか。
その違いが、
大きな差になっていく。
「どこに刺すか」ではなく、
「どう診て、どう関わるか」
私にとっての鍼灸は、
その延長にあります。
今日もまた、
そんなことを考えながら、
目の前の身体に触れています。
私にとっての鍼灸です。

