曖昧なことを仕事にしている

ある先生が〈治療家が、BodyではなくMindやSpiritに偏ってしまう現象には、個人の心理と業界の構造が深く関わっています。〉と紹介していました。

Bodyは”誤魔化しが効かない世界”

Body領域は、とにかく実力が丸見えになる。

一方でMindやSpiritは、雰囲気や物語で成立しやすい。

抽象的ワード、感情共有、”優しい物語”で評価される。

だからMindやSpiritは”心理的な逃げ道”になりやすい。

「心が原因です」「エネルギーが乱れています」「潜在意識がブロックを・・・」という”逃げ道キーワード”を使ってしまう、と。

業界構造が「曖昧な治療」を歓迎してしまう背景には、エビデンスより”物語”、技術より”優しい雰囲気”、具体より”抽象”、Bodyより”スピリチュアル”があるわけです。

このブログもある人にはそう見えているでしょう。

ただ、これまでも書いてきましたが、筋肉の構造を理解しているだけでは病気が変化しないこともある。

これはMindやSpiritに偏っている人がいるということを紹介しているのですが、実際にSNSを見ているとそのようなブランディングをしている施術者が多いことも事実であり、その施術者に心酔している人も多くいるように見受けられます。

その点は慎重であるべきだと思いつつ、外野からみていると声が大きい人が影響力を持つように思えます。

先日、ある作家さんが「東洋思想は生きた思想である」と紹介していたことを記事に書きましたが、”見えているもの””見えていないもの”をその時々に判断するというのは実際には困難であるにも関わらず、多くの施術者が断言する。

そもそも病気が1つの原因で生じるものなのか?

ではなぜ1つの問題や課題をクリアしても解決しないのか。

そこまでやれば時間もお金もかかるから容易ではないと考える人もいて、実際に大学病院で総合診療科を受診する人もいる。

そして、最後にターミナルケアになると聖書を読み、そして祈りを捧げる。

どんなに科学が発展しようとも見えないものは見えず、見えていてもわからないことさえある世界で、「わかる」というのはとても傲慢なものであると考えてしまいます。

その点で東洋思想が常に変化するという理解し、西洋思想と対比したときにその寛容さを知るのです。

何かがダメで、何かは正しいという考えは、選択肢を少なくする。

だから科学を否定することはせず、かといって信用しすぎることもせず、経絡や臓腑、気や血だけで網羅しているわけではなく、その時々に合わせて柔軟であることなのでしょう。

ある人には曖昧に見えて、いい加減なようにも思えることが、実際には必要なこともある。

私はそういった東洋思想に限りない可能性を感じています。

けれど、分からないことは分からない。

そのために人間は問い続けるのでしょう。

私たちは、抽象的ワード、感情共有、”優しい物語”で悦にひたることはありません。

その点はご安心ください。

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