少し前の話し。
テレビを観ていた時のこと。
主人公が興味深いセリフを話していました。
「根拠のない迷信」。
それまで日本酒は酒の神様がつくると思われていたのですが、どうやら酵母というものが関係していると知るのです。
このことについて思うことは鍼灸にも同じことがいえて、言葉がない時代に怪我をした仲間や家族に対して本能的にその部分に手を当てたり、圧したり、揉んだり、あるいはなめなり、さらには泥を塗ったり、木の葉を貼ったり。
その後、火を利用するようになってから温めることで疼痛を軽減させることを経験して。
さらに石で皮膚を切ったり、これによって腫れている部分の膿を排泄させることで治療ができることを経験しました。
これらの経験を「根拠のない迷信」と考えたら確かにそうかもしれません。
ただ実際には約7000年前からワインは作られていましたし、鍼灸の起源は石器時代の中国に遡り、日本に伝わったのは奈良時代です。
それらを科学の視点から見直されたのは長い歴史のなかで考えるとまだ日が浅いのですが、これらは迷信ではなく事実として再現性のあるものです。
人が人に触れるとき、そこに科学はありません。
ただ良くなって欲しいという想いや、触れられることによる安心です。
何もかも科学に置き換えることは難しく、最後の最後は「神のみぞ知る」という見解に至るそうです。
そう考えると、人間がいかに浅はかで傲慢な生き物なのかということが分かります。