左利きだから気づけたことがあった

仕事の前に、
コンビニへ立ち寄った。


コーヒーマシンの前に、
車いすの女性がいた。


何か手伝えることがあれば、
と思いながら見ていた。


けれど、
動きは迷いがない。


ガムシロップを入れ、
蓋をして、
ポケットにしまう。


日常の一部として、
自然にこなしている。


会計を済ませて外へ出ると、
今度は車へ移ろうとしていた。


ふと、
気になってしまう。


こぼさないだろうかと、
ルームミラー越しに見ていた。


大きな問題ではないのかもしれない。


けれど、
どこか引っかかる。


便利になっているはずなのに、
不便さは残っている。


むしろ、
見えにくくなっているだけなのかもしれない。


子どもの頃から、
左利きだった。


身の回りのものは、
ほとんどが右利き用。


それが当たり前だと思っていた。


うまく使えないことがあっても、
自分の問題だと思っていた。


缶切りや、
改札や、
細かい動作。


少しずつ、
ズレがある。


けれど、
それを言葉にすることはなかった。


みんな同じように感じていると、
思っていたからだ。


大人になって、
そうではないと知った。


気づいていないだけで、
感じていない人もいる。


その違いに触れたとき、
自分の立ち位置が少し見えた気がした。


見えていない不便は、
思っているより多い。


それに慣れてしまうこともある。


不便であることに、
気づかなくなる。


あるいは、
気にしないようにしているのかもしれない。


どちらなのかは、
外からは分からない。


それでも、
少しだけ想像することはできる。


余っているものがあるなら、
そちらに回すこともできる。


大きなことではなく、
ほんの少しのこと。


見えていないところに、
目を向けること。


それだけでも、
変わるものがあるのかもしれない。



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