飛び方を忘れた人へ

ある人が、
悩みを話してくれた。

 

どうしたらいいのか。
一緒に考える。

 

けれど、
似たような話を聞くことが多い。

 

身体の不調というより、
もう少し手前にあるもの。

 

うまく言えない違和感が、
ずっと続いている。

 

話を聞いていると、
ある感覚が浮かぶ。

 

飛び方を知らない、
という感覚。

 

もともと、
飛べなかったわけではない。

 

けれど——

 

飛ぼうとするたびに、
止められてきた。

 

外は危ない。
ここにいなさい。

 

そう言われ続けて、
動きを小さくしていく。

 

やがて、
飛び方そのものが分からなくなる。

 

それでも時間は進み、
大人になる。

 

気がつくと、
飛べないことを問われている。

 

何かが違う、
という感覚だけが残る。

 

それが、
不調として現れることもある。

 

はっきりとした原因はないのに、
整わない。

 

「根本から整える」と、よく言われる。

 

けれど——

 

何をもって、
根本とするのか。

 

気を補うことか、
食を整えることか、
身体を動かすことか。

 

どれも大切だと思う。

 

ただ、
それだけでは触れられない場所がある。

 

どう生きてきたのか。
どこで止められてきたのか。
何を怖いと感じているのか。

 

そういったものが、
静かに影響している。

 

整えるというのは、
それらを含めて見ていくことなのかもしれない。

 

うまく言葉にはできないが、
今年に入ってから感じていることがある。

 

最後は、
少し祈りに近くなる。

 

何かを変えるのではなく、
その人がその人でいられるように。

 

手を加えるのではなく、
邪魔をしないように。

 

そんな関わり方に、
少しずつ近づいている。

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