いま、高齢のご夫婦のご自宅へ往診に伺っています。
京成八幡の近く。
静かな住宅街の中に、築100年の日本家屋があります。
居間にはやわらかな光が差し込み、
庭木が揺れ、
遠くを走る京成線の音や、小学校から聞こえる子どもたちの声が重なります。
その空間で、語らいながら施術をおこないます。
草木の話をしたり、
テレビのニュースをきっかけに談笑したり。
それは単なる世間話ではありません。
目の前にいる人の「暮らし」から情報を受け取る、大切な時間です。
どんな椅子に座り、
どんな食卓で食事をし、
どんな庭を眺めて日々を過ごしているのか。
そのすべてが身体と無関係ではありません。
私はその情報をもとに、
限られた条件の中で施術を組み立てていきます。
結局のところ、難しい理論を振りかざしているわけではありません。
むしろ、動物としての感覚を研ぎ澄ませているのだと思います。
呼吸の深さ、
声の張り、
視線の動き、
家の空気。
理屈を超えたところで、身体は多くを語っています。
今朝、千葉大学附属病院の総合診療科が特集されていました。
最低でも2時間かけて診察をするとのこと。
そう考えると、これまでの2〜3分の診察では無理があったのかもしれません。
一方で、鍼灸やマッサージが1時間かけて話を聴きながら、その人を知っていくという作業。
それは決して無意味ではなかった。
むしろ、それこそが鍼灸の良さなのではないか。
では、鍼灸の良さとは何だろう。
私は「距離」なのだと思います。
遠くから数値を眺めるのではなく、
近くで息遣いを感じる。
病名ではなく、
人をみる。
暮らしに触れ、
時間を共有し、
その人の中にある変化の兆しを待つ。
鍼灸は派手ではありません。
劇的でもありません。
けれど、この距離感こそが価値なのだと思います。
人や暮らしに近い医学。
私たちは、そうして人と向き合うのです。

