「鍼灸は治らない」
そう言うと、
少し強すぎるかもしれません。
けれど、
鍼という治療法が生まれてから、
その効果は、
ずっと同じだったのでしょうか。
生活は、大きく変わりました。
食べるもの。
働き方。
環境。
たとえ「これを食べましょう」と言ったとしても、
その背景には、
種の問題。
土壌。
残留農薬。
海洋汚染。
マイクロプラスチック。
大気汚染などがあります。
私たちは、
知らないうちに、
多くの影響の中で生きています。
ネガティブな話ではなく、
それだけ、
時代が複雑になったということ。
産業革命以降、
人の暮らしは大きく変わり、
身体の前提そのものが、
変化しました。
鍼を一本刺す。
その作用の仕組み自体は、
何一つ変わりません。
けれど、
それを受ける身体は、
同じではないのです。
社会の変化とともに、
結婚や出産の年齢は上がり、
働きながら妊娠と出産を迎えます。
出産の直前まで働き、
数週間後には、
日常へ戻っていく。
この社会の変化のなかで、
不妊、逆子や悪阻などが改善するのは
難しいと思うようになりました。
というのも仕事の効率は上がりました。
一週間かかっていた仕事が、
一日で終わることもあります。
けれどその分、
負担やストレスなど、
見えない疲労は、
増えているのではないか。
そう考えたとき、
鍼を一本刺したことによる変化を、
大きいものだと、
言い切れなくなったのです。
時代や環境が異なる場所であれば、
また違う反応が出るでしょう。
けれど、
近代化された社会の中では、
同じような即効性を
期待することは難しい。
だからこそ、
「医療が人を治す」という考え方自体も、
どこか、
過去のものになりつつあると思うのです。
では、
なぜ寿命は延びているのか。
そこには、
公衆衛生や科学の発展があります。
けれど、
健康寿命という視点では、
また別の問題が見えてきます。
生きてはいるが、
動けない。
日常に支障がある。
そうした現実は、
医療費や介護の増加にも、
現れています。
つまり、
鍼灸を受けたから健康になる、
という単純な話ではないのです。
その中で、
私はひとつの考えに至りました。
鍼灸は、
「治療」としてではなく、
「健康管理」として
選ばれるものなのではないか。
だからこそ、
「治すための鍼灸」という考え方から、
少し距離を置くようになりました。
鍼灸は、
何かを劇的に変えるものではない。
時代が変われば、
その一刺しの意味もまた、
変わっていく。
環境は複雑になり、
身体への負担は、
静かに増え続けている。
その中で、
ひとつの手技だけで、
すべてを変えることはできません。
けれど、
それでも鍼灸には、
役割がある。
それは、
「治すこと」ではなく、
いまの自分の状態に、
気づくための時間。
張りつめていること。
無理をしていること。
本来のリズムから、
離れていること。
そういったものに、
触れるきっかけ。
現代は、
外に答えを求めやすい時代です。
けれど、
身体はすでに、
多くのことを知っています。
何が負担で、
何が必要なのか。
その声は、
ただ、
聞こえにくくなっているだけかもしれません。
鍼灸は、
それを思い出すための、
ひとつの手段。
だから私は、
「治すため」に行うのではなく、
整えるために、
選ばれるものであって欲しい。
その選択が、
自分の身体と向き合う、
入口になるのであれば、
それで十分なのだと思います。

