私が考える鍼灸の形②

鍼灸は答えが出ている。

そのことに対して人間の解釈が加わると哲学、思想、宗教のような影響力を持つようになります。

そして、この力が人を支配するような働き方をすることに私は嫌悪感を抱きます。

ですから、鍼灸は正しい。

正しいが使い手によって変なものになることが多い。

だから私は東洋医学、西洋医学というおのに対して距離も保ち、引いて考えるようにしています。

これが私の鍼灸師の感性的思考(Art)です。

この部分は、故日野原重明先生が話されていた「アートとしての医学を理解しなければ、広い意味での内科学を理解することはできない」「科学を患者にどう適用するかというタッチの技であり、患者とのコミュニケーションが大切」という言葉が意味する「美意識」から影響を受けています。

そのため私の鍼灸院はこれといってコンセプトがあるわけではありません。

動物は言語をもちませんから、本能として触れることで癒すということを無意識におこなうわけです。

そこに哲学、思想、宗教は必要などなく、動物的に本能的に病むものを癒すことを大切にしています。ただ、私は人間あり言語をもつからこそ、無計画に、闇雲に、「やった、治った、効いた」という方法はとらず、人に説明することで出来ることを前提に治療をおこないます。

しかし、当院では難しい話をすることはなく、支配したいという感覚もありません。

受けたい人が受ければ良いし、受けたくなければ来なくて良いと考えています。

ですから治療や再来を促すことはありません。

鍼灸は特別なものではないし、医療は日常にあるものです。

だからもっと気軽に受けてもらえたら良いと思います。

人生を80年とすると、睡眠に27年、食事に10年、トイレに5年。

自由な時間は38年。

私が、あなたのその38年の使い方を左右することはありません。

この時間に病気が介入すれば変化しますから、自らどのように生きるか考える必要があります。

ですから自然体で来院していただけたら良いです。

自分の身体を整える、人生を豊かにするために。

そのために私はプロとして仕事をおこないます。

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